概要
博多の櫛田神社の元宮とする伝承をもつ。
解説
櫛田宮(くしだぐう)は、佐賀県神埼市に所在する神社。旧社格は県社。 社伝によれば、景行天皇(在位は4世紀前半と推定される)が当地に巡幸した折に、不幸が続き住人が苦しんでいると聞き、当社を建て神を祀り鎮めたのが発祥という。 その後は災厄もなくなったことから、この地を「神幸(かむさき)」と称し、現在の神埼(かんざき)の地名の起こりとなったと伝えられている。 平安時代、平忠盛は博多にあった神埼荘の倉敷に、神埼荘の鎮守である櫛田宮からの分祀により同名の櫛田神社を創建したと伝えられている。 但し、博多の櫛田神社は創建757年であり、平忠盛は1057年生誕なので同時期に同名の神社が二つ存在したこととなる。 元寇の際には、櫛田宮の霊剣を櫛田神社に移して祈祷をし、その霊験で元軍は撤退したという話が伝わる。 神埼荘の鎮守として高志神社および白角折神社とともに三所大明神、三社宮と称された。現代の「みゆき大祭」でもこの3社と櫛森・櫛丸の櫛田宮境内2社の神輿が奉納される。 永久3年(1115年)に鳥羽天皇の勅で社殿を造営したとき勅使として下向した本告道景と伴兼直は当地に移り住み、それぞれ後に武士化した本告氏および執行氏の祖となって、両家は櫛田宮を含む三所大明神の宮司を務めたという。 櫛田宮の参道入口に建つ一の鳥居には、順徳天皇の勅願と伝えられる「櫛山櫛田宮」と彫られた扁額が掲げられている。二の鳥居は境内では最も古く、慶長7年(1602年)に建てられたもので、典型的な「肥前鳥居」になっており、県の指定文化財になっている。 当社で保管されてきた古文書には平安時代後期の12世紀以降、度々朝廷や幕府、地元領主による造修が行われたことが記されている。江戸時代には長崎街道が整備され、神埼宿が当社周辺に設けられた。 明治4年(1871年)に郷社、1880年(明治13年)に県社に列されている。 戦後、一旦は廃宮されたが、昭和二十七年(1952年)「櫛田宮」と改称して復古している。 「櫛田三神」と称される。 隔年で「みゆき大祭」と称し大規模に斎行される(西暦末尾偶数年の4月第一土・日曜日。2010年は4月3日・4日)。御神幸や神楽奉納等が行われる。 佐賀県指定重要文化財(県指定有形文化財) 石造肥前鳥居 - 柱と貫が3本継で慶長7年(1602)造立の銘がある初期の肥前鳥居。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:景行朝(伝) ご利益:厄除け
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