概要
山王さんと呼ばれる。十二年に一度の御田舞が伝わる。
解説
仁比山神社(にいやまじんじゃ)は、佐賀県神埼市神埼町的にある神社。旧社格は県社。 社伝によれば、天平元年(729年)この地に松尾大社を勧請したことを創始とする。その後承和11年(844年)に慈覚大師が唐から戻る際この地に立ち寄り、土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奏上したところ、比叡の神威を感じた仁明天皇の命により近江坂本の日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とした。そのときにこの地を仁明天皇の「仁」と比叡山の「比山」を併せて「仁比山」としたとされている。 従前は日吉神社、日吉社、また神宮寺として仁比山護国寺を併設し、山王権現、山王社と称していた。参道一の鳥居は「山王権現」、二の鳥居は「日吉宮」の扁額。 国司や探題により社領や神田の寄進が行われたとされるが、文書の多くは兵火で失われている。残存する「仁比山神社文書」の古いものでは、正平16年興澄という者が神埼荘の屋地を寄進した記録がある。康正元年に大内教弘、文明17年に少弐政資がそれぞれ社領等を安堵している。永禄2年(1559年)大友宗麟の来攻の際に社殿は焼失したが、佐賀藩藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子の援助により再建された。江戸時代には、藩が営繕費用を負担し藩主が祭礼に代参を遣わすなど佐賀藩の庇護を得ており、大門(仁王門)前の鳥居は延宝2年(1674年)鍋島光茂が寄進している。 明治4年(1871年)に神仏分離令により仁比山護国寺と分離し日吉神社となった。この年村社に列せられたが、のち大正5年には県社に列せられている。1910年(明治43年)に仁比山村内の13社を、翌1911年(同44年)9月には村内の白角折社をそれぞれ合祀(神社合祀令)、同年10月に仁比山神社と改称した。なお、白角折社は後に旧地に復座している。 境内社として現在は松尾宮、松森稲荷神社を置く。 「御田舞」(おんだまい)(「仁比山神社の御田舞」として佐賀県重要無形民俗文化財に指定、指定日:1959年3月20日) 12年に1度、申年の初申の日から13日間(4月頃)行う「大御田祭」の中で奉納される。平安時代に猿を神使とする大津市の日吉大社から伝わった。当社および下宮である十禅師社にそれぞれ舞台を建てて行う。「御田歌」および演奏とともに種籾蒔き、田植えなどの所作が演じられる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:729年(伝) ご利益:農業
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