概要
紫泥の急須。国内の土鍋の大半を作る。
解説
萬古焼(ばんこやき、万古焼)は、陶磁器・焼き物の一つで、葉長石(ペタライト)を使用して耐熱性に優れた特徴を持つ。陶器と磁器の間の性質を持つ半磁器(炻器)に分類される。三重県四日市市を中心に、土鍋などが生産されている。 三重県四日市市の代表的な地場産業であり、江戸時代中期に造られ始め、土鍋の日本国内シェアは約8割を占める。市内の橋北地区と海蔵地区で盛んに造られ、四日市市指定無形文化財となっている。 近代に入り高温のガスコンロが家庭に普及すると、かまど用の土鍋は割れたり、ひびが入ったりすることがあった。四日市の萬古焼産地は1959年頃、主原料の粘土にペタライトを混ぜることで熱膨張しにくい土鍋を開発してシェアを伸ばし、1970年代には国産土鍋の大半を占めるようになった。1979年(昭和54年)1月12日、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。 その耐熱性の特徴を活かした紫泥の急須や、豚を模った蚊遣器「蚊遣豚」でも有名である。 ペタライトにリチウムが含まれており、家電や電気自動車にリチウムイオン電池の需要が世界で広がってきたのを背景に原料価格が上昇傾向にある。ペタライトの主な調達先だったジンバブエの鉱山が2022年に中華人民共和国の企業に買収され、萬古焼陶磁器工業協同組合や各窯元は、ジンバブエの鉱山会社に輸出の継続・再開を要請したほか、カナダへの輸出打診、シリカやコージライトを使っての試作などに取り組んでいるが、代替原料を使った場合は風合いの再現や製法の変更などが課題になっている。2024年7月には、ジンバブエのスチュアート・ニャキョチョ駐日ジンバブエ大使が萬古焼の製造団体を訪問し、取引の再開をする方針を伝えた。 萬古焼は江戸時代中期に桑名の豪商沼波弄山(ぬなみろうざん)によって生み出され、文人趣味によって発展した焼き物であった(古萬古)。古萬古がいったん廃絶した後、各地で萬古焼の再興が試みられた。四日市の萬古焼も、幕末期に再興されたものの一つで、明治時代に地場産業として定着した。以後、半磁器式の硬質陶器など新たな技術を用いた新たな商品が開発された。 萬古焼は、沼波弄山が元文年間(1736年〜1740年)に朝明郡小向(あさけぐん おぶけ、現在の三重郡朝日町小向)で名谷山(めんたにさん)の陶土(白土)を使う焼物として創始した。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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