概要
曲り家を移して民話を伝える。オシラサマ千体を祀る御蚕神堂。
解説
遠野市(とおのし)は、岩手県内陸部にある都市。 柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町であり、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わる。 岩手県南東部の内陸に位置する。市のほぼ全域が、北上川の支流である猿ヶ石川の最上流域にあたり、中央部は北上山地最大の盆地である遠野盆地となっている。また、岩手県で2番目に高い山である早池峰山の一部も市域にある。 河川:早瀬川、小鳥瀬川、猿ヶ石川など 平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.33%減の28,062人であり、増減率は県下33市町村中10位。 寒暖の差が大きく、気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に豪雪地帯に指定されている。 年平均気温は9.8 ℃である。平年値では猛暑日が0.5日、真夏日が20.7日、夏日が72.0日、真冬日が17.7日、冬日が138.0日となっている。また、1月から2月にかけて日平均気温が氷点下となっている。 冬季は-20 ℃を下回る気温が観測されることがあり、2021年1月9日に-22.3 ℃を記録している。 年平均降水量は1,175.1 mm、年平均降雪量は243 cm、年平均日照時間は1,580.1時間である。 徳川家康に臣従し、盛岡藩を成立させた南部利直は領内の基盤整備に取りかかった。それまで遠野を領有していた阿曽沼氏や鱒沢氏を追放し、根城南部氏の八戸直義を転封して仙台藩領と隣接する遠野の統治にあたらせた。1627年(寛永4年)、直義は遠野鍋倉城主として12,500石を与えられた。以後明治維新までの約240年間、遠野は遠野南部氏の城下町として存続した。 遠野南部氏時代、遠野は拾戸(じゅうのへ)とも呼ばれた。元々、「戸」は南部氏の本拠地であった糠部郡に設けられて一から九までの数字が付けられた区画・地名で、閉伊郡には無関係なものであったが、遠野南部氏が八戸から遠野に移った際に、遠野を新たな10番目の「戸」と位置づけることで南部氏の土地であることを強調したものと思われる。 歴代当主は盛岡藩御三家の一つとして盛岡に常駐していたため、実際の政務は鍋倉城代である重鎮の家老達により行われていた。現在も穀町、大工町、材木町、六日町という地名に城下町の名残を見ることができる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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