概要
全長280メートルの鍾乳洞。社殿の裏から入る。
解説
普天満宮(ふてんまぐう)は、沖縄県宜野湾市普天間にある神社。宜野湾市で唯一の神社でもある。 現在の正式な社名は普天満宮となっているが、旧名「普天間宮」で記される事も多い。別称は普天満権現。一般的には普天満神宮と呼称される。琉球八社の一つ。 琉球古神道神と熊野権現とを祀る。慶安元年(1648年)刊の『琉球神道記』に「当国大社 七處アリ、六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處ハ八幡大菩薩也」、また別名である普天満権現については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛龍ト見ユ、東ニ当リテ瀑布アリ、其水霊也」と、祭神のことが記されている。 創建については往昔、普天満宮の洞窟(普天満宮洞穴)に琉球古神道を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の時代(15世紀中半)に熊野権現を合祀したと伝えられている。現存する古い記録には万暦18年(1590年)の「普天満権現碑」があり、『琉球神道記』や『琉球国由来記』(正徳3年(1713年))、『琉球国旧記』(享保16年(1731年))にも普天満宮関係が記載されている。 熊野信仰との関連では普天満宮を熊野三山の那智山飛龍権現に見立てて信仰されていたようである。さらに、近世沖縄における熊野信仰は琉球八社を始め、その分社、あるいは美津呂(びじゅる)、観音、霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所(うがんじょ)としても数多く存在する。縁起伝承には首里桃原に出現した女神が普天満の洞窟に篭もったという伝承、その後洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と神威を示さしたという伝承があり、又、中城間切り(現北中城村)安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難を救ったという伝承があり、「当ノ屋」ではそのお礼参りが続いている。旧暦9月は普天満参詣と言って、かつては中山王はじめ、ノロや一般の人々が各地より参集し拝礼の誠を捧げた。 沖縄戦のあった昭和20年(1945年)には、当時の社掌が神体を持って本島南部の糸満へと避難した。戦争終結後は、敷地が米軍基地キャンプ瑞慶覧 (キャンプ・フォスター) の一部として接収され、立ち入りは禁止されていたため、社掌の出身地である具志川村(現うるま市)田場に仮の宮を造った。 1949年に米軍から敷地が開放され、神体も移転される。当時は簡素な鳥居と社殿のみであった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
ご利益:縁結び
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
最新の営業時間・料金・休業日は公式サイトで確認してください。
出典 futenmagu.or.jp ↗旅の前に知っておくこと
世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。
同じ県の神社・寺
訪問前の確認・参考資料
原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。
この県の工芸・名品
この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh
沖縄県の写真
この資料に関連する地域の参考写真です。掲載施設・商品の写真ではありません。
拡大 ↗沖縄県の Instagram 投稿(公式アカウントより)
この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。
