概要
なだらかな裾野を持つ山として、近代の洋画家が繰り返し描いた。群馬の絵の背景に必ず出てくる。
解説
赤城山(あかぎやま/あかぎさん)は、群馬県の北東部に位置する山域の総称。カルデラ湖を伴う成層火山である。 地形としてはひとつの火山体ではあるが、名称として「赤城山」と呼ぶ単体の峰はなく、複数の山頂を持つ連山の総称として用いられる。 最高峰の黒檜(くろび)山を筆頭に、駒ケ岳、地蔵岳、鈴ヶ岳など標高1800mから1200mの峰々が取り囲んで円頂を構成し、その中央部のカルデラにはカルデラ湖の大沼や湿原の覚満淵、火口湖の小沼(こぬま、この)がある。裾野の径が約25kmに及ぶ大きな山体を形成する複成火山で、円頂の外側は標高約800mまでは広く緩やかな裾野の高原台地をなしている。裾野の大きさは、約35kmの富士山に次ぐ日本で2番目の規模である。 山岳信仰の対象ともされ、関東一円に約300社の赤城神社が分布している。赤城神社の本宮と推測される社は複数存在するが、このうち赤城山の中には黒檜山の山腹(三夜沢)と大沼の湖畔(大洞)の二社がある。 榛名山、妙義山と並び、上毛三山の一つに数えられている。また、日本百名山、日本百景の一つにも選ばれている。中腹にパノラマ展望台がある。 奈良時代に編纂された『万葉集』では、巻14の東歌に「加美都家野久路保乃禰呂乃久受葉我多」(かみつけの くろほのねろの くずはがた)と詠まれている。「くろほのねろ」(くろほの嶺)が赤城山、「くずはがた」は山上の大沼を指すとされる。「クロホ」は黒い雷雲が沸き起こる山容を描写した表現と考えられている。この古称は、現代では赤城山外輪山で最高峰の「黒檜山」や、赤城山南東の「黒保根村」(合併により桐生市黒保根)の名に継承されている。 平安時代の『続日本後紀』巻8には、承和6年(西暦839年)6月に「赤城神」に従五位下の神階が授けられたとあり、これが「赤城」の史料上の初出である。以来、『日本三代実録』(901年)や『延喜式神名帳』(927年)にも「赤城神」が記載されている。鎌倉時代には、『金槐和歌集』(1213年)収録の源実朝の和歌に「上野の勢多の赤城」が詠まれている。『吾妻鏡』建長3年条には「赤木嶽」とある。 「アカギ」の語源は不明である。さまざまな説がある。 上野国の豪族上毛野氏が、族祖を「キの国」出身とし、豊木入日子命(豊城入彦命)を始祖と称した。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
代表作・所蔵:山を描いた油彩の舞台 ジャンル:洋画、野外・ランドアート
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