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伊勢崎絣

群馬県 · 伊勢崎市 · 美術・工芸

Isesaki Kasuri / 伊勢崎絣

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伊勢崎絣
写真:こやまひろ / CC BY 4.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO伊勢崎絣

糸を括って染め分け、模様を織り出す。大正から昭和にかけて「銘仙」として全国の女性の普段着になった。

WHERE群馬県

東毛 · 伊勢崎市

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概要

糸を括って染め分け、模様を織り出す。大正から昭和にかけて「銘仙」として全国の女性の普段着になった。

解説

伊勢崎絣(いせさきがすり)とは、群馬県伊勢崎市とその周辺地域で製造される絹織物の一種。特に1975年に国の伝統工芸品として伊勢崎織物組合によって規定された製造法で織られた織物のことを指す。伊勢崎絣は先染め糸によるぼかし模様による分類による呼称で、織り方の分類からは伊勢崎銘仙と呼ばれる。 伊勢崎地域では織物製造が盛んであり、この地域で生産される織物を総称して伊勢崎織と呼ぶ。江戸時代に生産されていた太織(ふとり)から発展した絹織物は明治末期には伊勢崎銘仙の名で知られることとなった。古くは縞模様が主体であったが、伊勢崎銘仙の名が知られるとともに縞模様は生産されなくなり、絣模様が中心となった。 1930年(昭和5年)に生産のピークを迎えたが、第二次世界大戦後に生産量は激減、伊勢崎織物の中心はウール着尺へと移った。1975年(昭和50年)に伊勢崎絣は国の伝統工芸品の指定を受け、現在は服地・帯地以外にもインテリアや洋装雑貨などの新分野の開発にも取り組んでいる。 伊勢崎地域では古くから養蚕が盛んであったことから、江戸時代には玉繭(2頭以上の蚕が共同して作った繭)や屑繭を利用した太織(ふとり)が農家の副業として生産された。18世紀には利根川を利用した舟運により伊勢崎織は江戸や京阪へ出荷され、伊勢崎は織物の産地として知られることとなった。 1880年(明治13年)には織物業者らにより伊勢崎太織会社(後の伊勢崎織物同業組合)が設立され、織物の品質維持が図られることとなった。1887年(明治20年)に森村熊蔵が従来のいざり機に代えて高機を導入し、日露戦争後に急速な普及を見せ、織物生産の近代化が進んだ。森村は絹紡糸(屑繭や屑生糸を紡績した糸)の使用も推進し、それに伴う対立により一時組合が分立する事態にまで至ったが、1894年(明治27年)の組合統一以降絹紡糸の使用は拡大を見せた。 また銘仙という新たな呼称も生まれる。『伊勢崎織物同業組合史』によれば1887年(明治20年)ごろに東京・日本橋に出店した伊勢崎太織の販売店が「めいせんや」と染め抜いたのぼり旗を用いたことに由来するとも、1897年(明治30年)に東京三越で「銘撰」として販売したものが転じたともされている。明治末期には力織機も導入される。 1930年(昭和5年)に最盛期を迎え、小幅織物の生産は456万反に達した。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:括り染めの絣糸、銘仙 ジャンル:染織

出典 ja.wikipedia.org ↗

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