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薩摩の廃仏毀釈と失われた仏像

鹿児島県 · 鹿児島市 · 博物館・記念館

The Destroyed Buddhas of Satsuma / 薩摩の廃仏毀釈と失われた仏像

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薩摩の廃仏毀釈と失われた仏像
写真:Unknown authorUnknown author / Public domain · 出典 ↗
WHAT TO DO薩摩の廃仏毀釈と失われた仏像

明治初年、県内の寺がすべて廃され、僧は還俗させられた。全国で最も徹底した破壊で、残った仏像は隠されたものだけ。

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概要

明治初年、県内の寺がすべて廃され、僧は還俗させられた。全国で最も徹底した破壊で、残った仏像は隠されたものだけ。

解説

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教を廃すること。「廃仏」は仏法を廃し、「毀釈」は釈迦(仏教の開祖)の教えを棄却するという意味である。 中国においては3世紀以来、しばしば仏教の廃絶政策が取られており、446年(北魏の太武帝)、574年・577年(北周の武帝)、845年(唐の武帝)、955年(後周の世宗)の4回にわたる仏教弾圧が三武一宗の法難として著名である。これらはいずれも国家財政との抵触、教団の腐敗堕落、道教との確執などを理由として実施された。唐の韓愈や宋以後の朱子学派の廃仏論は仏教に対して手厳しいものだったが、中国で大きな影響力を保持し続けた。 日本においては、古代の崇仏論争を経て、鎮護国家思想に基づき仏教が国家祭祀において一定の影響力を持つことになった。しかし江戸時代にはこれに対する批判的な思想も登場し、1666年(寛文6年)、水戸藩と岡山藩では朱子学にもとづく大規模な寺院整理(寺院破却)が行われた。これは明治初年の宗教政策の思想的源流と考えられている。 日本の廃仏毀釈は神国思想が広まった幕末、明治初期に特に表面化した。廃仏毀釈には江戸時代に富永仲基や平田篤胤によって提示された大乗非仏説理論(大乗仏教の経典は釈迦の直説ではなく、後世に創作されたとする説)も大きく影響し、日本人の仏教に対する信仰心を揺らがせていた。平田神道を思想の中核に据えていた明治新政府は、従来の日本において支配的地位にあった仏教に対する手厳しい施策を打ち出したが、様々な要因もあいまって全国に廃仏毀釈の嵐をまき起こした。 インド発祥の宗教である仏教は、日本への伝来後、帰化人を中心に信仰され民間に広まってゆく。『日本書紀』によれば、仏教公伝は552年(欽明天皇13年)であるが、『元興寺縁起』などでは538年とされている。これ以降、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏・中臣氏の争いが起きたが、物部守屋の敗死と厩戸皇子により仏教受容が確定した。これは、後の鎌倉時代に仏教が発展・浸透してゆく切っ掛けとなったといえる。しかし、その後の政府と仏教寺院はしばしば現地で対立をし、戦国時代には織田信長による1571年(元亀2年)の比叡山焼打ちなどの弾圧も起こった。 神仏分離や廃仏が地方的な運動から全国的な運動に広がってきたのは江戸時代末期である。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1868年 代表作・所蔵:寺1,600か寺すべて廃止、破壊を免れた仏像 ジャンル:彫刻、古美術・仏教美術

出典 ja.wikipedia.org ↗

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