概要
集落ごとに牛を飼い、勝負をつける。牛に着せる装束と綱の意匠が、集落の記号になっている。
解説
闘牛(とうぎゅう、英: Bullfighting、西: Corrida de toros)は、牛と闘牛士が戦う競技、または牛と牛が戦う競技。あるいはその競技に用いる牛のこと。 牛と闘牛士が戦う競技は、スペインやポルトガル、南部フランス、ラテンアメリカなどで行われており、特にスペインでは闘牛は国技とされ、盛んである。 牛の興奮を煽るのに赤い布(ムレータ)が使われているため、牛は赤いものを見ると興奮すると思われがちであるが、牛の目は色を区別できず、実際は色でなく動きで興奮を煽っている。昔は赤ではなく、白や黄色の布が使われていたが、客席を興奮させるために赤い布が採用されている。 しかし近年では、闘牛士が牛を槍や剣で刺していき、死に至らしめるのを見せるということに対して動物愛護的な観点から批判が強まっている。 スペイン語では、闘牛を「コリーダ(Corrida de toros、牛の走り、la corridaのみでも闘牛を指す)」と表す。スペイン闘牛では、「マタドール」と呼ばれる闘牛士が活躍するが、マタドールは正闘牛士を意味し、闘牛士全体の1割しかいない。残りの9割は准闘牛士で、プロとして活躍できる闘牛士はその1割しかいない。 西ゴート王国以来、中世のスペインでは円形闘技場で闘牛が行われていた記録はあるが、初期の闘牛が具体的にどのような形で行われていたのかは不明である。10 - 11世紀のカスティーリャ文学などには、当時のキリスト教王国での闘牛の有り様が描かれているが、中世の闘牛は結婚式の出し物や軍事訓練などの目的で貴族が主催者となって行われた。騎乗した騎士が従士の補助を受けつつ、槍や剣で牛を倒す様を民衆に公開していた。騎馬闘牛(レホネーオ)は形式を変えつつ17世紀に最高潮を迎え、闘牛が民衆主導で行われるようになった18世紀以後には下火となったが、完全に消滅することはなかった。 また、アルフォンソ10世の時代に、ピレネー山脈からラ・リオハ地方にかけて「マタトロス」と呼ばれる職業的な牛殺しが現れるようになった。屠畜を見世物とするマタトロスたちは社会の最下層と位置づけられていたが、やがて騎馬闘牛の助手として闘牛に欠かせない存在となり、闘牛が盛んになるにつれ社会的な地位も変化していった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:牛の装束、集落ごとの牛 ジャンル:染織
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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