概要
鹿児島県だが、言葉も墓の形も沖縄に近い。県境が文化の境ではないことが分かる島。
解説
与論島(よろんとう、よろんじま、与論島方言:ゆんぬ/juNnu/)は、奄美群島の島。鹿児島県最南端の島である。 奄美群島の内で最も沖縄県に近い位置にあり、南西約23km沖に沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)が、西方約40km沖には伊平屋島があり、伊是名島も見える。島の周囲は珊瑚礁で囲まれており、美しいサンゴ礁の島である。礁の内側は水深2 - 3mの浅い海が広がる。隆起作用と造礁作用による石灰岩でできた島である。なお、県庁所在地である鹿児島市中心部までは、直線距離でおよそ540km、那覇市までは110km離れている。 ミナタ離、ビヤンチク離、百合ヶ浜 - 東方沖。 一島一町で、鹿児島県大島郡与論町。人口は約5,000人で、主な産業は農業と観光業であり、3次産業の比率が高く、とりわけ政府サービス生産(公務)に大きく依存する。1984年7月15日にはミニ独立国、「パナウル王国」を設立した。「パナ」は花、「ウル」はサンゴ礁を意味する。 島で唯一製造されている酒は黒糖焼酎で、代表銘柄の「有泉」(島有泉)は、ほとんどが島で消費されている。客人をもてなす時などには 「与論献奉」と呼ばれる島流の飲み方で飲まれている。 1970年代には離島ブームがあり、沖縄返還前には日本最南端の島として人気を博し、年間20万人を越える観光客が訪れ、島内唯一の繁華街である「茶花銀座」は、観光客が押し合うほどの混雑で大都会並の様相を呈した。しかし、ブームが去ると観光客は年々減少の一途を辿り、ヨロンマラソンなどのイベントを通じて観光客の誘致を図っているものの、2008年には観光客は盛期の約1/3の6万人にまで減少した。島の経済はサービス業の後退で疲弊し、水産物の価格形成の面にも悪影響を及ぼした。 「よろんとう」ともよばれるが、これは1970年代に観光振興の目的で外国風に「ヨロン島」と表記して読ませたもので、旧来の読み方は「よろんじま」である。「与論」は琉球方言で「ユンヌ」と呼ばれていたものが変化したもの。 伝承時代、女神アマミクと男神シニグクが島に瀬礁に辿り着いたところ、島が浮き上がり与論島が造られたという神話がある。古来より島はユルヌまたはユンヌと呼ばれていたが、琉球や大和(薩摩藩)により漢字が当てはめられ「与論」となった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
代表作・所蔵:珊瑚礁の島、沖縄と共通する文化 ジャンル:野外・ランドアート、建築
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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