概要
土地の土に頼らず、全国から材料を取り寄せて注文に応じる。仁清が色絵を確立し、乾山が絵付けを絵画に近づけた。国の伝統的工芸品。
解説
京焼(きょうやき)は、日本の陶磁器のうち、京都で焼かれる作品の総称。 経済産業大臣指定伝統的工芸品としての名称は京焼・清水焼。窯の所在地は東山が中心で、このほかに 洛東や洛北に点在した。歴史的には清水焼のほか、粟田口焼(粟田焼)、音羽焼、八坂焼、御菩薩池焼、修学院焼、清閑寺焼、御室焼などが含まれる。楽焼(聚楽焼)は含めないことが多い。 一度焼成した後に上絵付けを施す上絵付けの技法を用いた陶器が多く、作家ごとの個性が強いのが特徴。 また、「乾山写し」「仁清写し」など、他窯のデザインを本歌取りした写しものを得意とする。江戸時代、京焼の陶工は他の陶磁器産地に招かれて、その作風や技術は全国に影響を与えた。 後に京都(平安京)が造営される地では、古墳時代には焼き物が作られていた記録がある。 現代に至る京焼の起源としては、近年の研究では、慶長年間初頭の1590年代末には生産が始まっていたと考えられている。この頃の作品については不明な点が多いが、低温で焼成し、鉛を含む釉薬が使用されていて、技法やデザインが多様なことが特徴である。 この時期以前の京都は、三条粟田口界隈に陶磁器の窯元が集中し、粟田焼が生産されていた。ただし、天正年間以前の16世紀中頃には三彩や交趾焼などの技術を持った中国人陶工およびその後継者達が製陶を開始していた。緑、紫、紺、黄など寒色系の釉薬が特徴で、押小路焼のルーツとなったと考えられている。 17世紀(江戸時代初期)に入ると、茶道の興隆に伴って茶碗、茶入など茶陶の製造が盛んになった。具体的には、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人が京で作陶し、各産地の技法をベースとして高麗茶碗の写しなどが作られている。この頃、黒谷土と呼ばれる製陶に適した原料土が京周辺の山城国で発見されたことも陶磁器の生産の助けとなった。 京焼の中で最古の部類に入る粟田口焼(粟田焼)は、寛永年間には粟田口で生産を行なっていた。ここでは中国の茶器の写しや天目茶碗が作られた。同時期では、八坂焼は1640年、清水焼は1643年までには存在が確認されている。これに続いて御室焼、御菩薩池焼(みぞろがいけやき)、修学院焼なども作られた。 このような中、慶安3年(1650年)5月25日に金森重近(宗和)が参加した茶会に関する記述の中で、絵付を施した御室焼の登場が確認されている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1600年代 代表作・所蔵:野々村仁清の色絵、尾形乾山の意匠 ジャンル:工芸・陶芸
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