概要
梅田スカイビルの原広司による建築。船のような巨大な塊が丘の上に浮いて見える。
解説
宮城県図書館(みやぎけんとしょかん)は、宮城県仙台市泉区紫山一丁目にある県立図書館である。 1881年(明治14年)に宮城師範学校の中に開設された宮城書籍館(みやぎしょじゃくかん)を前身とする。伊達家ゆかりの資料である伊達文庫などの古書を含む、約115万点の資料を収蔵している。 1880年(明治13年)9月、宮城師範学校において書籍縦覧室規定が設けられた。これにより蔵書の整理、講堂の閲覧室への転用が行われ、職員や生徒がここで書籍を閲覧した。 宮城師範学校の校長和久正辰は、社会における図書館の必要性を考え、宮城県県令松平正直に図書館の実現を訴えた。松平はこの要望を聞き入れ、宮城書籍館規則を定めて、これによって1881年(明治14年)7月25日に宮城書籍館が発足した。明治天皇の巡幸が間近だったことが、図書館の迅速な実現につながったと言われる。この時の宮城書籍館の蔵書は、養賢堂の蔵書や青柳文庫によるものと県庁支給による図書類、合わせて1万7682冊だった。初代館長には林通が就いた。 当初は館内閲覧のみが許されたが、1882年(明治15年)には図書の館外貸し出しが行われるようになった。宮城師範学校の移転に伴い、1893年(明治26年)に宮城書籍館は宮城師範学校の付属小学校だった建物に移転した。これ以後、宮城書籍館は独立した施設となった。 1907年(明治40年)4月、図書館令に基づき宮城書籍館は宮城県立図書館へと名を変えた。1909年(明治42年)には巡回文庫が誕生した。この年は加美郡、牡鹿郡、本吉郡、遠田郡だけの巡回だったが、翌年からは宮城県内の全ての郡を回るようになった。この間、利用者数と蔵書数は伸び、1882年(明治15年)に利用者数7567人、蔵書数1万8465冊だったのが、1911年(明治44年)には利用者数5万6403人、蔵書6万8233冊となった。 宮城県立図書館への改名とあわせて、建物の改築が検討され始めた。しかし、資産家の斎藤善右衛門による多額の寄付があったことから、新築が行われることになった。民間からの6万6000円余りの寄付を受けて新館の建設が始まり、この間、宮城県立図書館は県会議事堂や医学専門学校講堂を仮館として業務を続けた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1998年 建築・作者:原広司 代表作・所蔵:浮遊するような大屋根 ジャンル:建築
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
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出典 library.pref.miyagi.jp ↗旅の前に知っておくこと
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