概要
紅花交易で栄えた商家の蔵が通りに連なる。国の重要伝統的建造物群保存地区。
解説
村田町(むらたまち)は、宮城県柴田郡にある町。 地誌『柴田郡村田郷風土記御用書出』(安永7年=1778年)によると、公家が京都から下向してこのあたりに暮らし、「お館様」」と呼ばれて16代を数えた後に村田氏が城に入ったとされる。その村田城が築かれた室町時代に入ると、下野国小山氏に連なる九郎業朝(くろう なりとも)が合戦に敗れて奥州へ逃れ、村田に住んだのが嘉吉年間(1441年–1444年)とされる。姓を村田に改めて6代目の村田近重(ちかしげ)には男子がなかった。そこで永禄8年(1565年)、後嗣ぎとして伊達稙宗(たねむね=第14代)の九男宗殖(むねふゆ=万好斎)を迎え、村田氏は伊達氏の係累に入った。西根荘村田郷の領地は村田町内の大字村田から同大字足立の辺りで、宗殖から7代にわたって治めた。 江戸時代の村田は水運を生かし仙南地方における紅花の集積地となり、明治時代にはカイコの繭を集めて各地へ出荷する中心地として栄えた。 中心市街地の村田は、「なまこ壁」を用いた「店蔵」(たなぐら)と呼ばれる土蔵造りの店舗と豪壮な表門とが並ぶ古い町並みが残っており、7.4ヘクタールの区域が2014年(平成26年)9月18日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。」「みちのく宮城の小京都」とも称される。 その他、「スポーツランドSUGO」を有しており、町内の一地名である」「菅生」「SUGO」はモータースポーツ界では鈴鹿と並び知名度は高い。 宮城県南部に位置する。町の7割を緩やかな丘陵が占める。町の中心部は東・西・北の三方を山に囲まれた盆地であり、また市街地の東部を川(荒川)が流れるなど京都に類似した地形となっており、小京都と言われる所以の一つとなっている。 柴田郡:大河原町、柴田町、川崎町 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、村田本郷・足立村・薄木村・小泉村の計4か村が合併し、村田村が発足。 1895年(明治28年)10月31日 - 町制施行し、村田町となる。 1955年(昭和30年)4月20日 - 村田町と沼辺村および富岡村の旧菅生村域(13.74平方km、1,460人)が合併し、新制の村田町が発足。 1月から2月 - 赤痢の集団発生。住民約6000人のうち1530人が感染。原因は水道水源の汚染とみられたが、感染拡大は防疫の遅れも要因であった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:店蔵と門が並ぶ通り ジャンル:建築
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