概要
木目を活かす拭き漆を得意とする。こけしと同じ木地師の技術から派生した。国の伝統的工芸品。
解説
鳴子漆器(なるこしっき)は、宮城県大崎市鳴子で生産される伝統工芸品の漆器である。経済産業大臣および宮城県知事から伝統的工芸品として指定されている。 鳴子における漆器生産がいつどのように始まったのか、確かな記録はない。1910年刊行の『玉造温泉誌』によれば、江戸時代の慶安年間(1648年から1652年)に紀州の塗物師が鳴子の挽物を塗りそれを浴客に売ったのが鳴子漆器の始まりであるという。また、漆工研究家の沢口悟一が1933年に書いた『日本漆工の研究』では、寛永年間(1624年から1645年)に鳴子漆器の生産が始まったとする。ただ、これらは言い伝えの範疇だろうとされる。 鳴子漆器が史料に登場するのはそれらよりも遅い。鳴子を含む一帯を治めていた岩出山伊達家の文書によれば、伊達敏親の代に、塗師の村田卯兵衛と蒔絵師の菊田三蔵が京都に派遣され、修行したという。安永年間(1772年から1781年)に成立した『安永風土記』と通称される仙台藩の地誌史料のうち、鳴子村の項目において「鳴子のぬりもの」と「鳴子の木地挽もの」が特産物として言及されている。また、1805年(文化2年)および1820年(文政3年)の史料には、漆がこの地方で採取されていたことが窺え、塗物店として忠蔵や万七の名が見られる。1827年(文政10年)の小宮山昌秀『浴陸奥温泉記』、1862年(文久2年)の保田光則『撫子日記』は当時の鳴子の状況に詳しく、木地挽と漆器店が多いと言及している。『撫子日記』には、鬼首産製品が多いとも記されている。忠蔵の遊佐家の史料として、1866年(慶応2年)に江戸の朱座が発行した朱の取次販売の許可状が残っている。江戸時代の鳴子漆器がどのようなものだったか不明だが、明治時代の状況から、縦木取りの挽物の皿や椀に渋下地を施して塗ったものだったと推測されている。鳴子には出羽仙台街道が通り、その関として尿前番所があった。鳴子漆器の生産は関所警備の下級武士の内職として行われ、鳴子温泉の湯治客などに売られていたと見られている。 東北地方の著名な漆器の一つとして会津漆器がある。会津漆器は江戸時代から江戸という大市場を持ち、また進んだ問屋制度や分業制度を持っていた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1624年 代表作・所蔵:ふき漆、龍紋塗 ジャンル:漆芸
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。
同じ場所の別の資料
同じ県の美術・工芸
訪問前の確認・参考資料
原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。
この県の工芸・名品
この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en
宮城県の写真
この資料に関連する地域の参考写真です。掲載施設・商品の写真ではありません。
拡大 ↗
拡大 ↗宮城県の Instagram 投稿(公式アカウントより)
この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。
