概要
風を通し虫を通さない粗い麻織。蚊帳の需要が消えたあと、その生地がふきんとして生き残った。
解説
蚊帳(かや、かちょう、ぶんちょう、蚊屋)は、蚊などの害虫から人などを守るための網。 1 mm程度の網目となっており、虫は通さず風は通す。麻などの繊維、のちに化学繊維でも作られている。 蚊帳の使用は古代にまで遡り、古代エジプトのクレオパトラが愛用していたという。18世紀にはスエズ運河の建設など、熱帯地方での活動に蚊帳が使用された記録がある。 日本には中国から伝来した。当初は貴族などが用いていたが、江戸時代には庶民にまで普及した。 江戸時代には、和紙製の蚊帳である紙張(しちょう)も普及した。紙張は冬の防寒具としても用いられた。 江戸西川家は、美声の男性達を雇い入れ、お洒落な半纏を纏って町中を颯爽と売り歩く2人一組の棒手売に仕立て上げ、「蚊帳ぁ、萌葱の蚊帳ぁ」という独特の掛け声でも注目を集めていった(文政年間に岳亭五岳〈岳亭春信〉が著した「蚊帳売り図」では、縦長の大きな木箱を棒の前後に吊り下げた1人と、脇を歩く1人がおり、担いでいるほうは太く大きな縦縞の入った半纏を着て、足を剥き出しにした棒手売スタイル、もう1人は、大きな風呂敷包みを背負った行商スタイルで歩いており、2人とも三度笠を被っている)。この棒手売は、江戸に初夏を知らせる風物詩となっていた。 1899年8月、山陽鉄道は、夏期夜行列車の1・2等客に蚊帳を貸した。 なお、日本における蚊帳の色彩と言えば、萌葱色の網に紅布の縁取りというのが定番になっているが、このデザインを考案したのは、江戸時代初期の西川家当主・2代目 西川甚五郎で、八幡蚊帳(近江蚊帳)として売り出すや否や爆発的ヒット商品となり、定着していったものである。それ以前のものは、網の色が麻そのものの色である明るい茶色で(■右上の画像を参照)、爽やかさや華やかさを感じられる萌葱色の蚊帳とは全く異なる地味で暑そうなものであった。 その後、昭和後期からは、アルミサッシに網戸が急速に普及したことにより、日本における蚊帳の需要は減少していった。 現在でも、蚊帳は全世界で普遍的に使用され、野外や熱帯地方で活動する場合には、重要な装備品であり、野外用のテントには「モスキート・ネット」が付属している。また軍需品としてアメリカ軍を始め、各国軍に採用されており、旧日本軍も「軍用蚊帳」を装備していた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:粗く織った麻布、ふきんへの転用 ジャンル:染織
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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