概要
東塔は各層に裳階を付けるため六重に見える三重塔。「凍れる音楽」と評された律動を持つ。世界遺産。
解説
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。 薬師寺の歴史は680年11月に当時の天皇・天武天皇の皇后である鵜野讃良(うののさらら、後の持統天皇)が病気を患い、天武天皇が鵜野讃良の病気平癒を願って本寺院の造営を誓願したことに始まる。当の鵜野讃良は薬師寺の完成を待つことなくして回復したが、その後も薬師寺の造営は進められ、688年ごろには寺院としての形を成していたと伝えられている。 710年に日本の首都が藤原京から平城京へと遷都されたことにともない、当時飛鳥京や藤原京にあった主要な寺院は平城京へ移転されることが決定した。薬師寺も例外ではなく、718年に伽藍が平城京へ移されるなど、着々と移転が進められていた。その一方、薬師寺のすべてが移転されたわけではなく、一部は「本薬師寺」と名付けられ、12世紀に本薬師寺の衰退が始まるまでその地に残り続けた。 室町時代や戦国時代には自然災害や戦火に巻き込まれ、金堂・中門・西塔が焼け落ちるなどの被害に遭っているが、その度に修復や再建がなされていた。 1998年に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。 薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿〈きどの〉町)の地に造営が開始され、平城京への遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものである。ただし、飛鳥の薬師寺(本薬師寺、北緯34度29分33.88秒 東経135度48分0.95秒)の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続していたと見られる。 『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:730年 代表作・所蔵:国宝 東塔、国宝 薬師三尊像、裳階による六重に見える三重塔 ジャンル:建築、彫刻
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