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国東塔

大分県 · 国東市 · 美術・工芸

Kunisaki Pagodas / 国東塔

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国東塔
写真:stonepapa / CC BY 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO国東塔

国東半島にだけ分布する独自の石塔。台座に蓮の花弁を彫り、他地域の宝塔とは形が違う。

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概要

国東半島にだけ分布する独自の石塔。台座に蓮の花弁を彫り、他地域の宝塔とは形が違う。

解説

国東塔(くにさきとう)は、大分県国東半島を中心に分布する宝塔の一種。一般の宝塔が台座を有さないのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座、ものによっては双方からなる台座を有するのが外観上の最大の特徴である。 国東塔の総数は約500基といわれ、その分布は大分県内北部から西部にも及ぶが、約9割が国東半島に集中している。国東塔が造られた目的は、納経、家門の繁栄祈願、墓標、逆修(死後の冥福を祈って生前に仏事を行うこと)などのためとされる。 鎌倉時代後期の弘安6年(1283年)の銘がある岩戸寺の国東塔が在銘最古のものであり、以降、南北朝時代、室町時代を経て、江戸時代に至るまでの様々な時代の国東塔が確認されている。 国東塔という名は、京都帝国大学の天沼俊一が1912年(明治45年)に富貴寺大堂の修理に国東半島を訪れた際に、一帯に特異な形式の宝塔が分布していることを知り、地名に因んで名づけたものである。 地元古老には『いぐりんさん』と呼ばれている。 照恩寺(しょうおんじ)宝塔 - 正和5年(1316年) 国東市武蔵町三井寺(昭和8年1月23日指定) 岩戸寺(いわとじ)宝塔 - 弘安6年(1283年) 国東市国東町岩戸寺(昭和8年1月23日指定) 長木家(ちょうきけ)宝塔 - 元亨元年(1321年) 国東市国東町東堅来(昭和29年3月20日指定) 宝塔(国東塔) - 元徳2年(1330年) 杵築市大田石丸(昭和29年3月20日指定) 財前家(ざいぜんけ)宝塔(国東塔) - 元応3年(1321年) 杵築市大田小野(昭和29年3月20日指定) 宝塔(国東塔) - 建武2年(1335年) 国東市安岐町朝来(昭和29年3月20日指定) 石造宝塔(国東塔)(西光寺) - 国東市武蔵町吉広(昭和32年3月26日指定) 石造宝塔(国東塔)(熊野区) - 豊後高田市田染平野(昭和32年3月26日指定) 石造宝塔(国東塔) - 豊後高田市田染平野(昭和32年3月26日指定) 石造宝塔(国東塔)(別宮社) - 国東市国見町伊美(昭和33年3月25日指定) 石造宝塔(国東塔)(神宮社) - 国東市国東町横手(昭和33年3月25日指定) 石造宝塔(国東塔)(願成就寺) - 速見郡日出町藤原(昭和34年3月20日指定)

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:鎌倉期 代表作・所蔵:この地域だけの石塔形式、蓮弁の台座 ジャンル:彫刻、建築

出典 ja.wikipedia.org ↗

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