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今帰仁城跡

沖縄県 · 今帰仁村 · 建築

Nakijin Castle Ruins / 今归仁城迹

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今帰仁城跡
写真:CEphoto, Uwe Aranas / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO今帰仁城跡

石灰岩の起伏に沿って城壁が1.5キロうねる。地形に逆らわず積むため、壁が波打つ。世界遺産。

WHERE沖縄県

本島北部 · 今帰仁村

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概要

石灰岩の起伏に沿って城壁が1.5キロうねる。地形に逆らわず積むため、壁が波打つ。世界遺産。

解説

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。 14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。国の史跡、世界文化遺産の一部に指定されている。 現地の伝説によれば、今帰仁世の主が築いたと伝わるが、伝説上の王統・舜天王統が始まるよりも遥か前の事だと言う。さらに利勇の反乱により世主は尽く滅亡したと伝わる。なお、現在まで発見された城郭跡は12 - 13世紀頃の築城である。 『中山世鑑』や『中山世譜』によれば、伝説王・舜天の兄(異母弟とも)、大舜とその子が城主となり、のち舜天二世・舜馬順煕の子、今帰仁世の主(義本王とは兄弟)が城主となる。なお、この代の今帰仁世の主の二世(不詳)の養子となり今帰仁城主を継いだのが英祖王の次男、湧川王子と伝わる。 湧川王子と子孫は代々城主を継ぐが、係累の怕尼芝に討たれ、それまでの城主係累は滅亡、離散する(その子孫に護佐丸がいる)。北山王国の始まりである。怕尼芝より前代は伝記と系譜だけで年代は分かっていないため伝説に近い。 明の洪武帝『明太祖実録』に北山王国の朝貢と今帰仁城の事が記述されている(現存する文献上、最も古い記録)。 1416年、北山王国は中山王尚巴志に滅ぼされるが、以後は北山監守が置かれた。1609年の琉球侵攻後、1665年(康熙4年)には廃止されている。以降は具志川御殿十世今帰仁朝義と係累が琉球処分まで監守跡を管理した。 『おもろさうし』に見える今帰仁の古名は「みやきせん」と言う。今帰仁城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった。 第二次世界大戦後に石垣などの遺構の整備が進み、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還と同時に、今帰仁城跡として国の史跡に指定される。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末 - 2月初めに開花する。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1300年代 代表作・所蔵:世界遺産、1.5キロの城壁、古期石灰岩の石積み ジャンル:建築

出典 ja.wikipedia.org ↗

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出典 nakijinjo.jp ↗

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