概要
桐の粉を練った素地に胡粉を何層も塗って顔を作る。日光東照宮の職人が移り住んだことに始まると伝わる。国の伝統的工芸品。
解説
岩槻人形(いわつきにんぎょう)は、埼玉県さいたま市岩槻区で生産される伝統工芸品である人形。旧・岩槻市時代から「人形のまち岩槻」として地域振興を行っており、人形の産地として全国的に知られる。 岩槻人形とは岩槻区で製造販売される着付けされた人形の総称であり、三月人形、五月人形(武者人形)といった節句もの、舞踏人形、尾山人形、浮世人形、童人形、御所人形、歌舞伎人形、市松人形、木目込人形など様々な種類の人形の製造を行っている。一つの生産地で多様な人形製造が手掛けられる点は、岩槻以外の生産地と比べても珍しいことだともいわれる。 岩槻で生産される江戸木目込人形が昭和53年(1978年)に、岩槻人形が平成19年(2007年)に国の伝統的工芸品に選ばれている。また、岩槻人形は県の伝統的手工芸品とさいたま市の伝統産業に、江戸木目込人形も県の伝統的手工芸品に選ばれるなど、技術力が評価をされている。地域団体商標にも登録されている。 岩槻人形の起源については諸説あり、定かではない。 岩槻城の城下町であった日光御成街道岩槻宿は元々桐の産地で、桐細工で有名だった。そこに日光東照宮の造営、修築にあたった工匠が住みつき、岩槻の水が胡粉に適していることを発見、岩槻人形が発祥したとする説。岩槻人形協同組合では発祥を寛永年間(1624年から1645年)としている。 元禄10年(1697年)、京都の仏師が日光廟の修理の帰りに岩槻宿で病気にかかり、回復後もこの地に留まって人形の頭を作ったというのが発祥とする説(河内屋喜兵衛著『新版風土記・巻の二』) 享保年間(1716年から1735年)、京都の人形師が日光東照宮を訪れた帰りに岩槻宿に立ち寄り、人形作りの技術を地域の住民に伝授したとする説。 天保年間(1830年から1844年)または安政年間(1854年から1860年)の創業で、それより過去の年代の創業であることを示す資料は存在しないとする説。 江戸期の主要な人形の産地であった鴻巣宿や越ヶ谷宿よりかなり遅れて創業され、天保年間に岩槻藩士の者が施した手彫刻が発祥となっているとする説。 鴻巣宿の職人が経済面、交通面などの立地条件を考慮して移住したのが発祥とする説。 明治27年から28年(1894年から1895年)の発祥とする説。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:桐塑の頭、胡粉を重ねた顔 ジャンル:工芸・陶芸
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