概要
凝灰岩の斜面に219の墓穴が蜂の巣のように並ぶ。集団墓が景観として異様な迫力を持つ。国の史跡。
解説
吉見百穴(よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ)は、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の遺跡。太平洋戦争下の地下軍需工場建設のために破壊された十数基を除いても、219基が現存している。2020年(令和2年)現在、有料で一般公開されている。 埼玉県の中央部、吉見丘陵の南西端に位置する古墳時代後期の横穴墓群であり、横穴墓の数は確認できるだけで219基ある。また、同じ敷地内に第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に掘削された地下軍需坑道跡が存在する。一般的に吉見百穴は古墳時代後期の横穴墓群と軍需坑道跡の双方を指して用いられている。吉見百穴の約2.5キロメートル北東には、同時代の遺跡「黒岩横穴墓群」がある。 吉見百穴では江戸時代中期には数基の横穴が開口した状態となっていたが、それが何かはわかっていなかった。 明治期に坪井正五郎が地元の人々の協力を得て発掘調査を行い237基の横穴が発掘された。その後、明治期から大正期にかけて横穴の性格を巡って、住居とする説と墳墓とする説の間で激しい論争となったが、日本各地で同様の横穴の研究が進んで横穴式の墓と考えられるようになった。 丘陵一帯は掘削に適した凝灰質砂岩で、横穴墓の内部は前庭部、羨道(せんどう)、玄門、玄室からなる。玄室の平面形態で8形式、天井の断面形態で6形式に分類されている。入口には緑泥石片岩の閉塞石が設置されていたとみられ、棺座が複数あるものも存在していることから、一つの横穴墓に次々と死者を葬る追葬も行われていたと考えられている。 太平洋戦争末期に丘陵斜面に地下軍需工場(トンネル)が建設され、その際に横穴墓10数基が壊され219基となった。 1923年(大正12年)3月7日に国の史跡に指定された。吉見百穴の岩山の下方にはヒカリゴケが自生している穴があり、1928年(昭和3年)11月30日に「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されている。埼玉県立比企丘陵自然公園の区域内にあり、国史跡・比企城館跡群の一つ松山城なども含めて周辺は「吉見町百穴ふるさとの緑の景観地」として整備されている。 「ひゃくあな」「ひゃっけつ」という2種類の読み方があり、歴史辞典、考古学辞典等にも両様の読み方がある。 史跡管理者である吉見町のウェブサイトでは「吉見百穴(よしみひゃくあな)」と読みを付けている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:6〜7世紀 代表作・所蔵:219基の横穴墓、岩肌の穴の連なり ジャンル:古美術・仏教美術、野外・ランドアート
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
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出典 town.yoshimi.saitama.jp ↗旅の前に知っておくこと
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