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醒井宿と地蔵川

滋賀県 · 米原市 · 建築

Samegai-juku / 醒井宿と地蔵川

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醒井宿と地蔵川
写真:Utagawa Hiroshige / Public domain · 出典 ↗
WHAT TO DO醒井宿と地蔵川

街道の家々の前を湧水の川が流れる。夏に水中で白い花を咲かせる梅花藻が、水の清さの指標になっている。

WHERE滋賀県

湖北 · 米原市

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概要

街道の家々の前を湧水の川が流れる。夏に水中で白い花を咲かせる梅花藻が、水の清さの指標になっている。

解説

醒井宿(さめがいしゅく、さめがいじゅく)は、近江国坂田郡にあった中山道(中山道六十九次)61番目の宿場であり、現在の滋賀県米原市醒井に位置する。2015年(平成27年)4月24日に文化庁の「日本遺産」として認定された「琵琶湖とその水辺景観 - 祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財に選定されている。 醒井(醒ヶ井、醒が井)は、古代からの交通の要衝であり、ヤマトタケル(倭建命・日本武尊)伝説に登場する『古事記』の「居寤の清泉(清水)」(いさめ〈いざめ〉のしみづ〈しみず〉)ならびに『日本書紀』の「居醒井(居醒泉)」(いさめがい〈いざめのいずみ〉)が地名の由来とされる。関ケ原を越えて東西を結ぶ東山道(中山道)の往還に位置し、その地名は中世、鎌倉時代の日記紀行などより認められる。 醒井宿は近世、江戸時代に中山道の宿駅として整備された。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、醒井宿の家数は138軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒、宿内人口は539人であった。醒井宿の南東に位置する霊仙山からの豊富な湧水があったことが、旅人の休憩場所に最適であったに違いなく、今日も地蔵川の清らかな流れが町並を潤している。 『古事記』の「居寤清泉」や『日本書紀』の「居醒泉」が醒井の地名の由来といわれる。東近郊の梓地区とともに、古代東山道の「横川駅家(よこかわ〈よかわ〉のうまや)」の比定地の1つとして知られ、一説に、醒井の西側を南北に流れる丹生川(にゅうがわ)を渡る場所とされ、同じく壬申の乱における「息長(おきなが)横河の戦」の地(横川古戦場)ともいわれる。 醒井は、中世にかけて官道の1つであった東山道の宿駅としての役割を担っていた。応仁2年(1468年)の「大乗院記録」には、京都より鎌倉に至る宿に「佐目伽井」があり、永禄元年(1558年)に興福寺光明院の実暁が記した『実暁記』の東海道六十三宿の宿次次第には「佐目加井」と記されている。 鎌倉時代、仁治3年(1242年)8月の京都から鎌倉までの行程を記した『東関紀行』に、「音に聞きし醒が井を見れば、陰暗き木の下の岩根より流れ出づる清水、あまり涼しきまで澄みわたりて、まことに身に沁むばかりなり」などと記され、「道の辺の木陰の清水むすぶとてしばし凉まぬ旅人ぞなき」と歌われている。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:湧水が流れる街道、梅花藻 ジャンル:建築、野外・ランドアート

出典 ja.wikipedia.org ↗

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