概要
39個の銅鐸が、大きな鐸に小さな鐸を入れ子にして埋められていた。一か所からの出土数として日本最多。国の史跡。
解説
加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)は、島根県雲南市加茂町岩倉にある弥生時代の遺跡。国の史跡に指定され、出土銅鐸は国宝に指定されている。 1996年(平成8年)10月14日、加茂町(現雲南市)岩倉の丘における農道建設工事中に発見された遺跡である。10月14日午前10時頃、重機による掘削中に突然異様な音がしたため、直ちに重機を止めた運転者が「誰がポリバケツをこんなところに埋めたのか」と考えつつ近づいたところポリバケツではなく銅鐸を発見した。 当時加茂町では、町長の速水雄一(後に雲南市長)のもとで学問と教育の里というテーマで町おこしを行っており、町役場にただちに遺跡発見の連絡が入った。正午前に知らせを受けた加茂町教育委員会では職員が現地に急行し、掘り出された銅鐸とまだ土中に埋まったままの銅鐸を確認、作業の中止と現状を変更することのないよう指示した。午後6時、町文化ホールで緊急の記者会見を行い、マスコミを通じて全国に発見が伝えられた。翌15日、「加茂岩倉遺跡」と命名された。 1996年(平成8年)より1997年(平成9年)の2年間にわたり、加茂町教育委員会と島根県教育委員会により発掘調査が行われた。その結果、一か所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見された。これまで一ヶ所の出土例で最多だった滋賀県野洲町大岩山遺跡における24個の出土例を大きく更新した。1999年(平成11年)に遺跡は国の史跡に指定。出土した銅鐸39口は同じ1999年に国の重要文化財に指定され、2008年(平成20年)7月に国宝に指定された。これらの銅鐸は国(文化庁)が所有し、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。 発見時に重機が直ちに停止されたことも幸いし、当初の埋納状態がよく残されており、配置などの詳細な学術情報が研究者にもたらされた。また、1997年度(平成9年度)の調査では、銅鐸が埋められていた坑から3メートル離れた場所に別の坑も発見されたが、こちらからは遺物が全く出土しなかった。 遺跡は358本の大量の銅剣が出土した荒神谷遺跡と約3kmしか離れておらず、両遺跡から出土した銅鐸に共通して「×」印の刻印があることから、両遺跡の関係性が注目されている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1996年 代表作・所蔵:銅鐸39個の出土、入れ子にして埋めた状態 ジャンル:金工、古美術・仏教美術
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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