概要
実際に大砲を鋳るために使われ、いまも残る反射炉は世界でもここだけ。世界遺産。
解説
韮山反射炉(にらやまはんしゃろ、英:Nirayama Reverberatory Furnaces)は、静岡県伊豆の国市にある反射炉跡である。築造当時の形で現存する反射炉であり、1922年(大正11年)国の史跡に指定されている。 韮山反射炉は、伊豆の国市中字鳴滝入に現存している反射炉の遺跡。高さ15.6mの連双2基で合計4炉で構成される。 日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみである。また、世界的にも実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては世界で唯一現存する遺構とされている。 1922年(大正11年)3月8日に敷地も含めて国の史跡に指定された。また、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された。 2020年(令和2年)6月9日、伊豆の国市の調査によって、鋳型を出し入れする「シャチ台」と型乾燥小屋の遺構が発見されている。 1840年(天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍は海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議した。韮山反射炉は、1853年(嘉永6年)の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定された。 1853年、伊豆下田にて築造開始。翌1854年(安政元年)、下田に入港したアメリカ合衆国のマシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が田方郡中村字鳴滝に変更された。そのため建造当時は中村反射炉と称されている。韮山反射炉と称されるようになったのは明治以降である。1855年(安政2年)、江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年(安政4年)に完成した。 江川英敏は、韮山反射炉を築造するにあたって、1857年(安政4年)、築造途中だった北炉完成のために、佐賀藩で築地反射炉・多布施反射炉の築造に携わった技師田代孫三郎・杉谷雍助以下11名を招き、技術協力を得た。 1857年から1864年まで、反射炉本体での鋳造が行われる。 1864年に閉鎖されたのち、1868年に幕府直営から江川家私営となる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1857年 建築・作者:江川英龍 代表作・所蔵:現存する実用反射炉、レンガと漆喰の煙突 ジャンル:建築、金工
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