概要
英国人技師ブラントンが設計した灯台のひとつ。岬の突端に白い円筒が立つ。国の重要文化財。
解説
御前埼灯台(おまえさきとうだい)は、静岡県御前崎市御前崎に立つ灯台。 国の重要文化財や、日本の近代化産業遺産に認定されており、日本の灯台50選にも選ばれているほか、歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されている。 なお地名は「御前崎(おまえざき)」だが、灯台名は「御前埼(おまえさき)」である。 昔から遠州灘は航海の難所でこの沖の岩礁で座礁、難破する船も多かった。特に御前崎周辺は、黒潮と駿河湾の瀬流が激しくぶつかり合う上に、御前岩という東西150m、南北1,100mにもおよぶ暗礁群があり、この中で大根・ドイ根・傘島・赤島などと呼ばれる露出岩が干潮時には波頭の間に時々見られるなど、昔から海の難所として船人に恐れられていた。さらに御前岩の周辺はちょうど、名古屋港・清水港・四日市港を結ぶ重要航路の変針点に当たり、これまで海難事故が絶えなかった。明治18年から昭和33年までの海難記録によると、150隻余の船が暗礁に乗り上げ多くの犠牲者を出している。 1635年(寛永12年)現在御前埼灯台がある場所に高さ2.8mで3.6m四方の見尾火灯明台が作られた。見尾火灯明台は海上から見える三面を油障子で囲み、中央に油灯を置いたというものだった。しかし1871年(明治4年)4月8日、江戸幕府が建造した軍艦が、岬の沖合のセイゴ根に座礁する事故が発生したため、明治政府は事態を重視して高さ5mの台に2.6mの八角形のガラス張りの灯室のある灯明台に改良し、灯明台専任の勤番を置き、下役5名を灯明堂近くの五軒長屋に住まわせるという対応を取った。 1872年(明治5年)に、「灯台の父」と呼ばれる英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもとに工事が開始され、1874年(明治7年)5月1日に点灯を開始した。その後、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月24日、艦載機と艦砲射撃によってレンズや灯器が破壊され、 灯塔も銃弾を浴びたため、戦災復旧工事が行われ、建設当初のレンガ造の灯塔を保ったまま美しい灯台に復元された。 1635年(寛永12年) - 見尾火灯明台だ作られる。 1871年(明治4年)4月8日 - 江戸幕府が建造した軍艦が座礁する事故が発生。 1872年(明治5年)5月26日 - 起工。 1874年(明治7年)5月1日 - 完成、初点灯。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1874年 建築・作者:リチャード・ブラントン 代表作・所蔵:レンガ造の灯台 ジャンル:建築
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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