概要
数えるたびに数が変わるという言い伝えから「化け地蔵」と呼ばれる。苔むした石仏が渓流沿いに列をなす。
解説
憾満ヶ淵(かんまんがふち)または含満ヶ淵(がんまんがふち)は、栃木県日光市にある小さな渓谷。慈雲寺境内と化地蔵のある大谷川沿いの一帯を指す。 所在地は日光市匠町および日光市日光。対岸側は日光植物園であり、「日光植物園の裏手」と表現されることがある。 男体山由来の溶岩が大谷川の水流で削り出されて形作られた地形である。大谷川の急流が川床の巨石(安山岩)にぶつかり、黒い岩と白い水しぶきの対照的な自然美を眺めることができる。日光市の歴史を伝える史跡の1つではあるが、なじみの薄い場所と捉える栃木県民は少なくない。 史跡探勝路「もうひとつの日光」の経路上にある。もうひとつの日光は日光総合会館前を出発し、浄光寺を経由して憾満ヶ淵に寄り、寂光滝を経由して日光奉行所跡に至る、約8 km・徒歩3時間のコースである。浄光寺から憾満ヶ淵までの間は住宅地であるが、史跡探勝路の一部であることから、道中には随所に憾満ヶ淵への案内板がある。 憾満ヶ淵を流れる水の音が、不動明王の真言(咒文〔じゅもん〕)を唱えているかのように聞こえることから、真言の終わりの語句「カンマン」を取って命名した。憾満および含満は当て字である。含満という漢字表記から「がんまんがふち」と呼ばれることが多いが、名前の由来に立ち返れば、「かんまんがふち」の方が正確である。 憾満ヶ淵は古くから不動明王の現れる霊地であったとされる。天海(慈眼大師)の高弟である晃海(こうかい)僧正が承応3年(1654年)に開いた場所である。晃海は憾満ヶ淵に慈雲寺や霊庇閣(れいひかく)、高さ2メートルの不動明王の石像などを建てて整備したので、参拝や行楽に多くの人が訪れた。その中には、「おくのほそ道」の旅の道中で立ち寄った松尾芭蕉の姿もあった。1902年(明治35年)、大洪水が発生し、慈雲寺本堂、霊庇閣、化地蔵の一部が押し流された。慈雲寺本堂と霊庇閣は、1970年代に再建された。 1986年、とちぎの景勝百選の40番目に「含満ヶ渕(憾満ヶ渕)」として選ばれた。2014年、おくのほそ道の風景地の1つ「ガンマンガ淵(慈雲寺境内)」として日本国の名勝に指定された。 2000年代から2010年代にかけて、憾満街区公園や化地蔵を会場として、約3,500本のろうそくに火を灯すイベント「日光キャンドルページェント」が2月に開催されていた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1600年代 代表作・所蔵:川沿いに並ぶ石地蔵約70体 ジャンル:彫刻
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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