概要
柳宗悦が「無名の職人の作」を美術として見せるために建てた。石と漆喰の建物も彼の設計で、展示台まで思想が通っている。
解説
日本民藝館(にほんみんげいかん)は、東京都目黒区駒場四丁目にある美術館で、「『民藝品の蒐集や保管』『民藝に関する調査研究』『民藝思想の普及』『展覧会』」を軸に活動している。 1936年に宗教哲学者、美術研究家で民藝運動の主唱者だった柳宗悦により創設、現在の運営は公益財団法人日本民芸館(にほんみんげいかん、法人番号:9013205001720)で、館内に日本民藝協会がある。 日本民藝館を創設した柳宗悦は、日本(当時)各地の焼き物、染織、漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、朝鮮王朝時代の美術工芸品、木喰(もくじき)の仏像など、それまでの美術史が正当に評価してこなかった、西洋的な意味でのファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することに努め、「民藝運動」を創始した。 柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教(あさかわのりたか)との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになる。浅川が柳を訪問した際に土産として持参した朝鮮の白磁に魅せられた柳は、以後朝鮮半島、特に朝鮮王朝時代の美術に傾倒し、1916年(大正5年)以降、たびたび訪朝するようになる。朝鮮半島は1910年(明治43年)以来日本の支配下にあったが、柳は朝鮮独自の文化を無視しようとする日本政府の政策に反発し、当時の美術史家や収集家がほとんどかえりみなかった朝鮮王朝時代の白磁、民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた。1921年(大正10年)には東京・神田にて日本初の朝鮮美術展、「朝鮮民族美術展覧会」を開催した。1924年(大正13年)には、浅川伯教と弟の浅川巧の援助を得て、ソウルの景福宮内に「朝鮮民族美術館」を開設するに至った。 1923年の関東大震災の大被害を契機として京都市に居を移した柳は、実作者である濱田庄司、河井寛次郎らと親交を深める。柳は日本各地に個性的な仏像を残した江戸時代の遊行僧・木喰の「再発見」者としても知られ、1924年(大正13年)以来、木喰の事績を求めて佐渡をはじめ日本各地に調査旅行をしている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1936年 建築・作者:柳宗悦 代表作・所蔵:朝鮮の白磁、大津絵、河井寛次郎・濱田庄司 ジャンル:民藝、工芸・陶芸、染織
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