概要
門前町の通りに彫刻工房が並び、店の看板まで木彫。町全体が彫刻の展示になっている。
解説
井波町(いなみまち)は、かつて富山県東礪波郡にあった町。2004年(平成16年)11月1日に井波町を含む8自治体が合併して南砺市が発足し、井波町は廃止された。 東礪波郡 福野町、利賀村、井口村、庄川町 井波の歴史(いなみのれきし)では、現在の富山県南砺市井波地域を中心とする地域の歴史について述べる。 井波地域は、砺波平野南東部の八乙女山地山麓に位置し、古代には高瀬神社周辺を中心に集落形成がみられ、中世には高瀬庄を中心とする荘園支配の場となった。中世後期には本願寺五世綽如によって瑞泉寺が創建され、同寺は北陸における本願寺教団の展開および一向一揆と深く関わった。 近世の井波は、瑞泉寺の門前町を基盤とし、加賀藩領越中国砺波郡の町場として発展した。井波は城端・五箇山・福光・福野方面と結ばれる交通・市場の結節点であり、北川は「五ヶ山口」、畠方町は「城端・福光口」と呼ばれた。また、宿駅、御蔵・蔵宿、蚕種・真綿・絹、五箇山紙などの流通、井波大工・井波彫刻の形成を通じて、加賀藩領南砺地域の経済・信仰・職人文化の一角を担った。 近代以降は旧砺波郡南部、のちの東礪波郡における行政・商工業・教育文化の拠点の一つとなった。とくに五箇山紙、五箇山生糸、井波の蚕種・絹織物、城端絹、福光糸などを含む南砺波地方の産業圏のなかで、井波は商業、蚕種、絹織物、教育文化の面で重要な役割を担った。 井波地域の歴史は、八乙女山麓の台地に点在する縄文時代の遺跡にさかのぼる。『井波町史』は、井波町の歴史について「八乙女山麓の台地に点在する縄文時代の遺跡にはじまる」と概説している。 井波町域では、閑乗寺山遺跡や示野遺跡など、砺波平野南部の山麓・段丘上に形成された遺跡が知られる。示野遺跡は縄文時代中期の遺跡として、庄川上流方面との交通との関係も指摘されている。 古代の井波地域を考えるうえで重要なのは、高瀬神社とその周辺地域である。高瀬神社周辺では、須恵器・土師器の破片が発見されており、『井波町史』は、これらの遺物から平安時代には高瀬神社周辺に大きな集落が形成されていたと推定している。 高瀬神社は、宝亀11年(780年)に史料上初見し、のちに『延喜式神名帳』に関わる官社として位置づけられた。『井波町史』は、高瀬神社について、単なる国史見在社とは異なり、国家的祭祀に関わる官社としての性格を持つものと説明している。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:八日町通り、彫刻師の看板 ジャンル:建築、彫刻
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