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土津神社

福島県 · 猪苗代町 · 神社・寺

Hanitsu Jinja / 土津神社

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土津神社
写真:sisisai / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO土津神社

会津藩祖・保科正之をまつる。「会津の東照宮」と呼ばれた。

WHERE福島県

会津 · 猪苗代町

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概要

会津藩祖・保科正之をまつる。「会津の東照宮」と呼ばれた。

解説

土津神社(はにつじんじゃ)は、福島県耶麻郡猪苗代町にある神社である。陸奥会津藩初代藩主・保科正之を祀っている。 土津神社は延宝3年(1675年)、磐梯山山麓見祢山(みねやま)の地に葬られた保科正之の墓所に造営された。 「土津」(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に正之が吉川惟足より吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来している。 翌寛文12年12月18日(1673年2月4日)に正之が死去すると、遺言通り見祢山の麓磐椅神社(いわはしじんじゃ)の西方に葬られた。正之は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって永遠に神に奉仕したいと望んでいたという。そのため、土津神社は磐椅神社の末社となっている。 現在境内には、明治13年(1880年)に再建された社殿と7つの末社、山崎闇斎の撰文で正之の治績を刻んだ高さ7.3mの土津霊神之碑があり、さらに奥の院として正之の墓所がある。 寛文12年8月11日、正之は重臣と共に見祢山へ登り、磐椅神社へ参拝した。その時にこの地を気に入り、自らの墓所と定めたという。翌年に正之が死去すると、遺言どおりにその地に葬られ、神式の葬儀によって埋葬された。この時期、江戸幕府は葬式は仏式によるものと定めていたが、吉川惟足が老中稲葉正則と交渉し、神式で執り行う旨の許可をとった。 その後、前述したとおり2年後の延宝3年に墓所の南側約1キロメートルの地に土津神社が造営された。古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったという。 しかし、江戸幕府においては大名を神として祀る神社を創建することは禁じられていた(徳川家康が東照大権現として祀られており、大名が神となることは家康と並び立つ意思があるものと疑われた)。このため、会津藩は磐椅神社の末社を正之の墓の近くに建立したことにしたが、天和元年(1681年)の幕府の監察で神社のことが指摘されると、藩は葬儀奉行であった友松氏興に責任を押し付けて責任を回避した。更に正徳4年(1714年)に藩の働きかけにより京都の吉田家から「大明神」の神号を授けられるが、享保20年(1735年)になって幕府から老中名義で「日光(東照大権現)への憚り」を理由に神額を掲げることを禁じられている。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:1675年 ご利益:学問、開運

出典 ja.wikipedia.org ↗

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