概要
断崖に張り出した朱の観音堂。安産と子育ての信仰を集める。
解説
磐台寺(ばんだいじ)は広島県福山市沼隈町能登原にある臨済宗妙心寺派の寺院。観音堂は、瀬戸内海に面する阿伏兎(あぶと)岬の断崖絶壁に建ち、国の重要文化財に指定されている。本尊は十一面観音。阿伏兎岬にあり阿伏兎観音とも呼ばれる。瀬戸内三十三観音霊場第二十四番札所、備後西国三十三観音霊場第四番札所。 草創についての詳細は不明で諸説あり。寛和元年(985年)に花山法王が十一面観音石像を祀り、航海の安全を祈願したのが始まりとされるが、のちに荒廃する。 水野家記によると、暦応元年(1338年)に法燈国師が草創とあるが、暦応元年(1338年)以後、元亀元年(1570年)に再興されるまで記録に見えずとある。あるいは、暦応年間に覚叟建智(かくそうけんち)が開創、その後、衰退し荒廃したとされる。再興した僧に相違があるが、再興時期が暦応年間というのは一致している。ただし、法燈国師は暦応年間よりも約40年以上前に没している。 寛文5年(1665年)の寺縁起によると、鞆の津の漁夫・三山次郎衛門が沼隈の海に長年沈んでいた石像を3度網で揚げ不思議に思ったが、その夜に夢枕で「汝の網に乗る我は観音也」とお告げがあった。翌日、再び網に石像が掛かったため、石像を引き揚げ岩礁に安置。または「日頃信仰する熊野三山の霊夢により、阿伏兎の岩上に安置した」と伝わる。伝承に小異はあるが、海より石像を引き上げ、お告げにより阿伏兎の岩上に石像を安置したことは共通している。この石像の噂を聞きつけた毛利輝元が、元亀元年(1570年)に一宇の堂を建て宝大寺住建智和尚を開山としたと伝わる。この石像が花山法王が奉った石像とも考えられるが、詳細は不明である。また前出の、暦応年間に開創したとする覚叟建智と、元亀元年(1570年)の建智和尚の名が一致するが、登場年代に200年以上もの差があるため、同一人物とは考えられないが、同一人物であるとすればが、伝承が混乱し年代に齟齬が生じた可能性もある。 元亀元年(1570年)に堂宇が建てられてからは、諸国の大名の請願、商売人、船人、旅人など貴賤に関係なく崇敬があったとされる。航海の安全を祈願し、観音堂下を行きかう船は、海上から賽銭を奉じる習わしがあったと伝わる。また寺蔵の諸大名の御祈祷札献上控えに、次の諸大名の名が残る。 54万石 肥後熊本 細川越中守 7万4千石 豊後国 中川修理大夫
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:986年(伝) 指定:重要文化財 ご利益:安産
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