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鞆の浦 沼名前神社

広島県 · 福山市 · 神社・寺

Nunakuma Jinja / 鞆之浦 沼名前神社

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鞆の浦 沼名前神社
写真:Saigen Jiro / CC0 · 出典 ↗
WHAT TO DO鞆の浦 沼名前神社

能舞台は秀吉ゆかりの組立式で重要文化財。潮待ちの港の総鎮守。

WHERE広島県

備後 · 福山市

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概要

能舞台は秀吉ゆかりの組立式で重要文化財。潮待ちの港の総鎮守。

解説

沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、広島県福山市鞆町後地にある神社。式内社、旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。 「鞆祇園宮(ともぎおんぐう)」の別称とともに、「祇園さん」「おぎょんさん」の通称がある。 祭神は次の2柱。 大綿津見命(おおわたつみのみこと) - 旧渡守神社祭神。 須佐之男命(すさのおのみこと) - 旧鞆祇園宮祭神。 現在の沼名前神社は、明治に渡守神社(わたすじんじゃ)・鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し、『延喜式』神名帳の記載にならって「沼名前神社」と改称したものである。神社側では、渡守神社が『延喜式』神名帳所載の式内社で、同社が現在に至るとしている。現在の祭神2柱(大綿津見命・須佐之男命)は、それまでの各社の祭神である。 社伝では渡守神社(現・沼名前神社)の創建に関して、第14代仲哀天皇2年に神功皇后が西国に向かった際、当地の霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まるという。そして帰途に際し、綿津見命の前に「稜威の高鞆(いづのたかとも。鞆は弓具の1つ)」を奉じたことから、「鞆」の地名が起こったともいう。 平安時代中期の『延喜式』神名帳では備後国沼隈郡に「沼名前神社」として式内社の記載がある。同帳では読みは「ヌナサキ」「ヌナクマ」の2説がある。その後、この式内社は所在不明となっていた。近世以後の考証で現在は渡守神社に比定されているが、鞆にあるのか自体も明らかとなってはいない。 近世には、渡守神社は猿田彦神・船魂命(船玉命)を祭神としていたという。元は後地平村もしくは鞆の関町にあったともいわれ、慶長年間(1596年-1615年)に祇園社の境内社として現在地に遷座したと伝えられる。明暦年間(1655年-1658年)には、藩主水野勝貞によって社殿が再建された。 神社側は、鞆祇園宮の創建については不詳であるとしている。天長年間(824年-834年)の創建とも、保元年間(1156年-1159年)の勧請によるとも伝えられる。 祭神は、現在同様素盞鳴命(須佐之男命)であった。元は鞆の関町に鎮座していたが、慶長4年(1599年)の火災で焼失し、現在地に遷座したという。 この鞆祇園宮を『備後国風土記』逸文に見える「疫隅国社(えのくまのくにつやしろ)」にあてる説もある。当社は鞆の産土神として崇敬され、福山藩主からも多くの寄進を受け、社地も有していた。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:不詳(古代) 指定:重要文化財 ご利益:航海安全

出典 ja.wikipedia.org ↗

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出典 tomo-gionsan.com ↗

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