概要
平安京ができる前からこの地にあった神社。都があとからやってきたという順番。
解説
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区上賀茂本山にある神社。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)である。 ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の一つとして登録されている。 京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。上賀茂神社からみて、下鴨神社は賀茂川沿いの約3キロメートル下流、高野川との合流部に位置する。江戸幕府が両社を区別するため使い分けるよう要請し、Y字形に似たこの合流部が鴨の脚に似ているため、賀茂御祖神社は下「鴨」神社、賀茂別雷神社は上「賀茂」神社という異なる漢字を充てる通称が定着したという。 賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事に賀茂祭(通称「葵祭」)がある。 社報『上賀茂』を年2回発行している。 主祭神 - 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ) 当社の創建については諸説ある。社伝によると神武天皇の代に神山(こうやま、賀茂山ともいう)の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。 『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は賀茂御祖神社(下鴨神社)に祀られている。天武天皇6年(677年)に山背国によって社殿が建立されたとする。 六国史では、『続日本紀』文武天皇2年(698年)3月21日条、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出であり、7世紀末にはすでに賀茂祭が行われていたことがわかる。民衆の祭への熱狂は朝廷にとって治安上の脅威となっていたが、天平10年(738年)頃より朝廷は賀茂社にも勅使を派遣し、奉幣を行うようになった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:678年(伝) 社格:山城国一之宮 指定:国宝、世界文化遺産 ご利益:厄除け、開運
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
最新の営業時間・料金・休業日は公式サイトで確認してください。
出典 kamigamojinja.jp ↗旅の前に知っておくこと
世界の質問箱から、この資料に関係する疑問を3つ。
同じ県の神社・寺
訪問前の確認・参考資料
原資料を掲載しています。営業時間、見学可否、料金、交通は最新の公式情報で確認してください。
この県の工芸・名品
この記述はValue Villageが公開情報をもとに自分で書き起こしたものです。転載はしていません。 対応言語:ja / en / zh
京都府の写真
この資料に関連する地域の参考写真です。掲載施設・商品の写真ではありません。
拡大 ↗
拡大 ↗京都府の Instagram 投稿(公式アカウントより)
この場所に結びついた投稿はまだありません。県の公式アカウントの投稿を毎分入れ替えて表示しています。
