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金剛證寺

三重県 · 伊勢市 · 神社・寺

Kongoshoji / 金刚证寺

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金剛證寺
写真:No machine-readable author provided. N yotarou assumed (based on copyright claims). / CC BY 2.5 · 出典 ↗
WHAT TO DO金剛證寺

朝熊山の上にあり、「伊勢へ参らば朝熊をかけよ」と歌われた。神宮の鬼門を守る寺とされる。

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概要

朝熊山の上にあり、「伊勢へ参らば朝熊をかけよ」と歌われた。神宮の鬼門を守る寺とされる。

解説

金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は勝峰山。院号は兜率院。本尊は虚空蔵菩薩。朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、当寺は「朝熊山」と呼ばれる場合がある。 創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが初めといわれているが、定かではない。平安時代の天長2年(825年)に空海が真言密教の道場として当寺を中興したと伝えられている。またその際、空海は本尊として福威知満虚空蔵菩薩を祀り、寺名を勝峰山兜率院金剛證寺とし、虚空蔵求聞持法を修したという。なお鳥羽市河内町丸山539の庫蔵寺(真言宗御室派)は、空海が当寺の奥の院として建立したものであるという。 当寺はその後衰退して無住の時代が続いたが、14世紀末の明徳3年(1392年)から応永年間(1394年 - 1427年)に鎌倉建長寺71世の仏地禅師東岳文昱(とうがくぶんいく)が再興に尽力した。これにより東岳文昱を中興で新たな開山第一世とし、真言宗から臨済宗に改宗し禅宗寺院となった。 神仏習合の時代、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺は「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢国・志摩国併せて最大の寺となった。 また、当寺には虚空蔵菩薩の眷属である雨宝童子が祀られているが、雨宝童子は伊勢神宮内宮の祭神である天照大御神の化現と考えらていたため、当寺は伊勢神宮の奥の院とされるようになった。こういった伊勢神宮との結び付きもあり、当寺では仏事に用いられるのは樒(しきみ)ではなく神事に使われる榊(さかき)が供えられる、全国でも珍しい寺となった。 当寺は関ヶ原の戦いの後に答志島(現・鳥羽市)で自刃した九鬼嘉隆ゆかりの寺であり、嘉隆にまつわる所蔵品がいくつかある。嘉隆の三男有慶は嘉隆の菩提を弔うために当寺にて出家し、金剛證寺第12世となった。 江戸時代には江戸幕府は伊勢神宮と絡んで当寺を重視し、援助が行われている。当寺は、慶長2年(1597年)に続いて慶長13年(1608年)にも火災にあって本堂が焼失したが、翌慶長14年(1609年)には徳川家康の命で、播磨国姫路城主で家康の娘婿でもある池田輝政により、本堂・摩尼殿(まにでん)が再建されている。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:6世紀(伝) 指定:重要文化財 ご利益:厄除け

出典 ja.wikipedia.org ↗

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