概要
日本三景のひとつ。日本三文殊のひとつで知恵の仏をまつる。
解説
智恩寺(ちおんじ)は、京都府宮津市字文珠466にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天橋山(てんきょうざん)。 境内は天橋立の特別名勝指定範囲に含まれている。2017年(平成29年)4月、日本遺産「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された。 古くから文殊信仰の霊場として知られ、謡曲『九世戸」(くせのと)の題材となっている。地形にちなんで通称「切戸の文殊」(きれとのもんじゅ)や「九世戸の文珠」(くせどのもんじゅ)、また「智恵(知恵)の文殊」と呼ばれ、奈良県桜井市の安倍文殊院(安倍文殊)、山形県高畠町の大聖寺(亀岡文殊)などとともに日本三文殊のひとつとされる。本尊の文殊菩薩は秘仏とされ、正月三が日、1月10日、7月24日の年5日の開帳がある。 創建に関する詳細は定かではないが、大同3年(808年)に平城天皇の勅願寺として創建された寺を前身とし、延喜4年(904年)に醍醐天皇から天橋立智恩寺の号を賜ったとされる。以後、中世までの歴史は判然としない。 当初は密教の寺院だったが、嘉暦年間(1326年-1329年)には禅僧の嵩山居中が入寺して禅宗寺院となったとされる。応永2年(1395年)9月には足利義満が久世戸を詣でており、以後もしばしば丹後国を訪れた。文明18年(1486年)には京都・相国寺の彦龍周興が智恩寺に滞在した。明応10年(1501年)、真言宗の僧である智海が多宝塔を建立した。雪舟が描いた『天橋立図』(国宝)には智恩寺多宝塔が描かれており、雪舟の最晩年の作とされている。 寛永10年(1633年)には国清寺の別源宗調が智恩寺に入山し、境内の復興や寺領の整備を行うと、この頃から臨済宗妙心寺派に属するようになった。明暦元年(1655年)には文殊堂(本堂)の大改修に着工し、万治2年(1659年)にはほぼ現在の姿になったとされる。この明暦の大改修の際には、文永7年(1270年)を最古とする墨書が発見されており、内陣廻りについては中世以前の形態を残していることが判明した。 享保7年(1722年)には方丈と庫裏への門として、宮津の木村正英の寄進によって楼門(暁雲閣)が建立された。宝暦12年(1762年)には観音堂、明和4年(1767年)には三門(黄金閣)、寛政11年(1799年)には庫裏が、富田喜左衛門盛行、富田庄次郎盛定、富田清右衛門保久の親子によって建てられた。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:808年(伝) 指定:特別名勝 ご利益:学問
出典 ja.wikipedia.org ↗公式サイト
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出典 monjudo-chionji.jp ↗旅の前に知っておくこと
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