概要
石庭は十五個の石を配し、どこから見ても必ず一個が隠れるとされる。
解説
龍安寺(りょうあんじ)は、京都市右京区龍安寺御陵ノ下町にある臨済宗妙心寺派の寺院。大本山妙心寺の境外塔頭。山号は大雲山。本尊は釈迦如来。開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄詔である。有名な石庭で知られる。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。 もともと衣笠山山麓に位置する当寺一帯は、天元6年(983年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とし、それ以来徳大寺家の所有となっていた。 この山荘を細川勝元が徳大寺公有より譲り受けると、宝徳2年(1450年)に敷地内に当寺が建立された。初代住持として妙心寺8世(5祖)の義天玄詔(玄承)が迎えられている。義天玄詔は師の日峰宗舜を開山に勧請すると、自らは創建開山となった。創建当初の境内地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。 細川勝元らと山名宗全らが争った応仁の乱の際、細川勝元は東軍の総大将だったため、当寺は西軍の攻撃を真っ先に受けて応仁2年(1468年)に焼失した。勝元は寺基を洛中の邸内に一時避難させた後、旧地(現在地)に戻すが、文明5年(1473年)に没した。 長享2年(1488年)に勝元の子・細川政元が当寺の再建に着手、政元と四世住持・特芳禅傑によって再興された。寺では特芳を中興開山と称している。明応8年(1499年)には方丈が上棟された。石庭もこの時に作庭されたとされている。 安土桃山時代には織田信長、豊臣秀吉らが寺領を寄進している。 『都名所図会』(安永9年〈1780年〉刊行)によると、当時は龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として紹介されており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名だったようである。 寛政9年(1797年)に京都町奉行へ提出された図面には23か寺の塔頭があったが、同年に起こった火災で食堂、方丈、開山堂、仏殿など主要伽藍が焼失した。そのため、塔頭の西源院(せいげんいん、現在は妙心寺の塔頭)にあった方丈を移築して当寺の方丈とし、現在に至っている。 その後、明治時代初期の廃仏毀釈によって衰退し、1895年(明治28年)には狩野派の手による方丈の襖絵90面が他の寺院に売却されている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:1450年 指定:世界文化遺産、特別名勝 ご利益:厄除け
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