概要
大原の里。苔の庭にわらべ地蔵が座る。
解説
三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原来迎院町にある天台宗の寺院。山号は魚山(ぎょざん)。本尊は薬師如来。三千院門跡とも称する。京都市街の北東に位置する山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地であった大原の里にある。青蓮院、妙法院とともに、天台宗三門跡の1つに数えられている。 当院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源を持ち、後に比叡山東麓の坂本(現・滋賀県大津市坂本)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移された。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は大原に移転して以降使われるようになったもので、それ以前は「円融院(円融房)」「円徳院」「梨本門跡」「梶井宮」「梶井門跡」などと呼ばれた。一方、境内にある往生極楽院(旧称・極楽院)は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年(明治4年)に梶井門跡の本坊がこの地に移転してきてからその境内に取り込まれたもので、三千院と往生極楽院は元来は別々の寺院である。 境内には往生極楽院のほか、宸殿、客殿などの建物がある。このうち、境内南側の庭園内にある往生極楽院内部には国宝の阿弥陀三尊像が安置されている。 当院は天台宗三門跡の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦年間(782年 - 806年)に比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷(比叡山内の地区名)の梨の大木の傍に一宇を構え、「円融房」と称したのがその起源であるという。後の「梨本門跡」の名はこれに由来している。 その地に貞観2年(860年)、承雲和尚が最澄自刻の薬師如来像を安置した伽藍を建て、円融院と称した。承雲はまた、比叡山の山麓の東坂本(現・大津市坂本)の梶井に円融院の里坊(山寺の僧が山下の人里に設ける住まい)を設けた。応徳3年(1086年)には梶井里に本拠を移し円徳院と称している。梶井の地名と、加持(密教の修法)に用いる井戸(加持井)があったことから、後に当院は「梶井宮」とも称されるようになったという。 元永元年(1118年)に堀河天皇第三皇子(第四皇子とも)の最雲法親王が入寺したのが、当院に皇室子弟が入寺した初めである。最雲法親王は大治5年(1130年)に第14世梶井門跡となった。以後、歴代の住持として皇室や摂関家の子弟が入寺し、護良親王(尊雲法親王)も入寺したことがある。
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創建:782年(伝) 指定:国宝 ご利益:再生
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