概要
御神体は本殿の床下の「大地」そのもの。武田信玄の願文が多数残る。
解説
生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は、長野県上田市下之郷にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 主祭神は次の2柱。 生島大神(いくしまのおおかみ) 足島大神(たるしまのおおかみ) 生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。『延喜式』神名帳では、宮中の神祇官西院で祀られる神々23座のうちに「生島神・足島神」の記載があり、朝廷とつながりの深い神々であることが知られる。 創建は不詳。社伝では、建御名方富命(摂社諏訪神社祭神)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという。この伝承から、生島・足島両神は当地の地主神であると見られており、伝承自体は現在も特殊神事の「御籠祭(おこもりさい)」に名残を残している。 一方『延喜式』神名帳には、宮中の神祇官西院で祀られる神23座のうちにも生島神・足島神の記載がある。このことや科野国造の本拠であったことをもって、神武天皇の後裔である科野国造の多氏(並びに同族の金刺氏・他田氏)が国魂として宮中から両神を勧請したという説もある。この中で、金刺氏がのちに諏訪大社下社の大祝を務めたことと、摂社諏方神社の関連性が併せて指摘される。 なお、生島足島神社の南西方にある泥宮を旧鎮座地にあてる説もある。 『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「生島足島神」には神戸として信濃国から1戸が充てられていた。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には信濃国小県郡に「生島足島神社二座 並名神大」と記載され、名神大社に列している。 生島足島神社には皇室や武将の崇敬が篤く、北条国時が社殿を営繕、真田昌幸・信之らの武将が神領を寄進し社殿を再建するなどの崇敬を表している。また、武田信玄が上杉謙信との戦いに際し奉じた直筆の願文等が現在も「生島足島神社文書」(国の重要文化財)として残されている。同文書によると、中世以降は「下之郷大明神」「諏方法性大明神」「下之郷上下宮」等と呼称されていた。その後、社名は寛政11年(1799年)に京都吉田家によって「生島足島神社」と改称した。 明治維新後、1871年 (明治4年) に近代社格制度において県社に列格し、明治32年(1899年)には国幣中社に昇格した。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:不詳(古代) ご利益:厄除け、農業
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