概要
島民が煉瓦を積んで建てた。床は有田焼のタイル。
解説
黒島天主堂(くろしまてんしゅどう)は、長崎県佐世保市の黒島にあるキリスト教 カトリック長崎教区の教会およびその聖堂である。正式名称を黒島教会(くろしまきょうかい)といい、至聖なるイエズスの聖心教会、イエスのみ心教会の別名もある。国の重要文化財に指定されている。 佐世保市本土から西へ約10km離れた九十九島最大の島である黒島には、江戸時代の迫害を逃れて移住してきた隠れキリシタンが多く住んでいた。1865年に大浦天主堂で「信徒発見」がなされた知らせは黒島にも伝わり、2か月後には信者の代表20名が長崎へ赴き、プティジャン神父に約600人の潜伏キリシタンが黒島にいることを伝えている。その後、禁教解除よりも前に島の信者全員がカトリックへと復帰した。 1878年に赴任したペルー神父が名切地区の土地を購入して和洋折衷の小規模な教会を建設するが、やがて手狭となり本格的な教会の建設が必要となった。マルマン神父が1897年に新しい聖堂の建設を目的に着任、自ら教会堂の設計を行なった。新しい聖堂は旧聖堂を取り壊して同じ場所に建設を行っている。1902年6月に献堂式が行われており、この頃が完成と見られている。 以降は1982年(昭和57年)から翌年にかけてレンガの張り替えや屋根の葺き替え、雨漏りで汚れた漆喰の補修、1991年には畳敷だった聖堂内を椅子式に変更するなど様々な修理を施されながら維持されていた。2008年(平成20年)頃から各部の老朽化が目立つようになり、本格的な修理が検討されるに至る。その過程で2013年(平成25年)から翌年にかけて耐震診断を実施したところ耐震基準を満たさないことが判明したため、耐震補強工事と合わせて保存修理工事が実施された。 1865年5月 - 長崎の大浦天主堂における「信徒発見」から2か月ほど後、早くも在島信者の代表約20名が同天主堂に赴いている。 1878年(明治11年) - 現在地に先代の木造聖堂が建てられた。 1897年(明治30年) - パリ外国宣教会から主任司祭として赴任したフランス人 マルマン神父の指導と信徒らの献金および奉仕により、現在の聖堂を建設。なお教会備え付けの洗礼台帳から、聖堂の完成は1902年(明治35年)のことと推測される。 1998年(平成10年)5月1日 - 国の重要文化財に指定。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:1902年 指定:重要文化財、世界文化遺産 ご利益:再生
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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