概要
長崎くんちの神社。キリスト教の広まりで荒れた長崎に、神道を立て直すために建てられた。くんちは国の重要無形民俗文化財。
解説
鎮西大社諏訪神社(ちんぜいたいしゃすわじんじゃ)は、長崎県長崎市にある神社。現在の正式名称は諏訪神社であり、鎮西大社は通称。地元では「お諏訪さま」、「おすわさん」と呼ばれる。10月7日から9日までの例祭は長崎くんちとして有名である。 弘治年間より長崎に祀られていた諏訪神社・森崎神社・住吉神社の三社が起源である。弘治元年(1555年)に、長崎織部亮為英が京都の諏訪神社の分霊を、現在の風頭山の麓に奉祀したのが始まりという説と、佐賀県唐津市(旧東松浦郡浜玉町)の諏訪神社を勧請した説がある。戦国時代に当地はキリスト教徒の支配地となり、当社を含めて領地内の社寺は全て破壊された。江戸時代に入った後の寛永2年(1625年)、長崎奉行・長谷川権六や長崎代官・末次平蔵の支援により松浦一族で唐津の修験者であった初代宮司青木賢清が、円山(現在は松の森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神とした。正保4年(1641年)に幕府より現在地に社地を寄進され、慶安4年(1651年)に遷座した。安政4年(1857年)9月に火災により焼失したが、孝明天皇の勅諚により明治元年(1868年)に再興した。 大正10年に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。 長崎くんちの奉納は、寛永11年(1634年)に丸山町・寄合町の両町が踊りを奉納したのが始まりである。 1555年(弘治元年) - 諏訪神社が創建。(ただし諸説あり) 第14代長崎甚左衛門純景の弟である長崎織部亮為英が諏訪明神を京都から東山(現在の長照寺付近、長崎市白木町)に分霊歓請したと言われている。 1625年(寛永2年)- 長崎奉行や代官らの保護・援助を受け、青木賢清が西山郷円山(現 松ノ森神社)に社殿を建立し、諏訪・森崎・住吉の三神を合祀。1624年(寛永元年)創建説あり。 青木賢清はキリシタンから「天狗」つまり「悪魔」とののしられていた。社殿の建設にあたりキリシタン教徒の妨害がひどかったが、人夫(建設従事者)を大村から招くなど苦心の末、一宇(一棟)の小社を建立した。 1634年(寛永11年)- 長崎くんちの始まり 長崎奉行(神尾元勝、榊原職直の二人奉行制)の援助を受け、青木賢清により9月7日・9日(旧暦)を祭日に制定。 9月7日に大波止の御旅所(おたびしょ)に、諏訪神社と住吉神社の神輿渡御を行う。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:1625年 ご利益:縁結び、厄除け
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