概要
伎芸天像は「東洋のミューズ」と呼ばれる。苔の庭が美しい。
解説
秋篠寺(あきしのでら)は、奈良県奈良市秋篠町にある単立の寺院。山号はなし。本尊は薬師如来。伎芸天像と国宝の本堂で知られる。 寺は奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置する。奈良時代の法相宗の僧・善珠の創建とされ、地元の豪族秋篠氏の氏寺ともいわれているが、創建の正確な時期や事情はわかっていない。 宝亀7年(776年)、皇后の井上内親王と、その子で皇太子の他戸親王を廃して死に至らしめた光仁天皇の勅願により善珠が創建したともいうが、これは鎌倉時代の文書に見えるものである。文献上の初見は『続日本紀』に宝亀11年(780年)、光仁天皇が秋篠寺に食封(じきふ)一百戸を施入したとあるもので、この年以前の創建であることがわかる(食封とは、一定地域の戸(世帯)から上がる租庸調を給与や寺院の維持費等として支給するもの)。創建時は法相宗の寺院であった。『日本後紀』によれば、延暦25年(806年)に崩御した桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われたことが見え、皇室とも関連の深い寺院であったことがわかる。 秋篠寺は平安時代になると真言宗寺院となり、平安後期からは寺領を増大させて南に位置する西大寺との間にたびたび寺領をめぐる争論があったことが、西大寺側に残る史料からわかる。 保延元年(1135年)には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建である。 文禄4年(1595年)、豊臣秀吉によって寺領100石が安堵される。 明治時代以降は浄土宗に宗旨を変更していたが、現在は単立寺院となっている。 南門の外にはかつての鎮守社・八所御霊神社があり、早良親王など八柱を祀る。 現在、主な入口は東門になっているが、本来の正門は南門である。南門と本堂の間には、雑木林や苔庭の中に金堂、東西両塔の跡があり、それぞれ礎石が残っている。 本堂(国宝) - 鎌倉時代の建立で、講堂の跡地に建てられた。当時の和様仏堂の代表作の1つである。桁行(正面)5間、梁間(側面)4間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する用語)。屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間とする。正面の柱間5間は中央3間を格子戸、左右両端の間を連子窓とする。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:780年 指定:国宝 ご利益:芸能
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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