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與止日女神社

佐賀県 · 佐賀市 · 神社・寺

Yodohime Jinja / 与止日女神社

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與止日女神社
写真:nannohi / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO與止日女神社

肥前国一之宮。嘉瀬川のほとりに鎮まる。

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概要

肥前国一之宮。嘉瀬川のほとりに鎮まる。

解説

與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。 「淀姫神社」とも表記され、別称として「河上神社」、通称として「淀姫さん」とも呼ばれている。 『肥前国風土記』逸文(神名帳頭注)によれば、欽明天皇25年(564年?)11月1日に與止姫の神が鎮座したという。 世田姫神社の北に川上があり鮎や謂魚が逆流して潜ったりしていたとあり、同書に収録された川にまつわる説話から、水神信仰として成立したものと見られている。 延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した。弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた。 平安時代には、肥前国では田島坐神社(現 田島神社)が安全航海の神として崇敬され、神階も当社より上で『神名帳』では肥前国唯一の大社に列していた。しかしながら、中世以降は国衙に近い当社の実質的地位が高まり、肥前国一宮として崇敬されたという。応保年間(1161年-1163年)には肥前国一の宮になり、弘長元年(1261年)正一位を受けた。ただし、後述のように千栗八幡宮も一宮を称している。 弘安の役(1281年)では與止日女大神の神霊が敵の船を摧いたと伝えられる。 慶長7年(1602年)に後陽成天皇が自ら「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守 宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」と宸筆した勅額を賜る(本殿に現存:非公開)。すなわち当社が肥前国一宮であるとするものであるが、千栗八幡宮も肥前国一宮とされていたことから、両社の間で60年にわたる紛争が起こった。 古記録によると、本殿、幣殿、拝殿は、文化10年(1813年)に焼失し、文化13年(1816年)に鍋島家により再建された。 明治4年(1871年)には近代社格制度において県社に列した。国幣社への昇格も進められていたが、第二次世界大戦の終結により実現しなかった。 貞観2年(860年)2月8日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「予等比咩天神」。 貞観15年(873年)9月16日、正五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「予等比咩神」。 弘長元年(1260年)、正一位 與止日女命 (よどひめのみこと) 神功皇后の妹という。また一説に、豊玉姫であるとも伝える。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建:564年 社格:肥前国一之宮 ご利益:安産

出典 ja.wikipedia.org ↗

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出典 yodohime.area9.jp ↗

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