概要
長浜八幡宮の別当寺だった。芙蓉の名所。
解説
舎那院(しゃないん)は、滋賀県長浜市にある真言宗豊山派の寺院。山号は勝軍山。本尊は愛染明王。芙蓉の名所として知られる。 当院は、弘仁5年(814年)に空海によって創建されたという新放生寺の学頭寺として創建された。当初の名称は遮那院である。 その後、平安時代中期になると源義家が前九年の役の際に陸奥国の安倍貞任・宗任兄弟征討の祈願を新放生寺にて執り行った。そして、安倍兄弟を討伐した義家は祈願の功があったとして、延久元年(1069年)に後三条天皇から新放生寺に勝軍山の勅号を賜わり、また同時に天皇の勅願を受けて、石清水八幡宮より祭神を分霊し、神仏習合により新放生寺の境内にその境内社として社が創建された、それが勝軍山新放生寺八幡宮(坂田八幡宮あるいは坂田別宮八幡宮ともいう)で、現在の長浜八幡宮である。新放生寺と八幡宮は合わせて社坊三百あまりを数え、本宮の石清水八幡宮をも凌ぐほどであったといわれる。また、源義家は新放生寺の学頭別当職となっている。 平安時代末期に、兄である源頼朝に追われた源義経は、都落ちして堅田から琵琶湖を渡って源氏にゆかりの深い八幡宮の別当寺である当院に逃れてきた。当時の執事・長善は既に今浜(現・長浜)の地は危険なため、木之本の浄信寺へ急がれるよう進言し義経主従は木之本地蔵院に一泊している。 室町時代には室町幕府第6代将軍足利義教によって新放生寺に三重塔が建立されたり、八幡宮の社殿が修補され、太刀、神馬などが奉納されている。また、天文5年(1536年)には後奈良天皇より寺領三千石を賜わり、小谷城主の浅井氏からも社領、太刀、神馬などが寄進されている。 しかし、元亀年間(1570年 - 1573年)に行われた織田信長と浅井長政との戦いに巻き込まれてしまい、当院を含む新放生寺と八幡宮はほとんど焼失して衰退したが、天正2年(1574年)に長浜城城主として羽柴秀吉が長浜に来ると、秀吉は新放生寺と八幡宮の荒廃を惜しみ、寺社領七十石が寄進され、堂舎、社殿の再建がおこなわれて天正19年(1591年)に新放生寺と八幡宮の社殿は再興された。この史実は長浜曳山祭の起源ともいわれている。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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創建:弘仁期(伝) 指定:重要文化財 ご利益:厄除け
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