概要
岬の先の神池は海に囲まれながら淡水。駿河湾の漁師が信仰した。
解説
引手力命神社(ひきてちからのみことじんじゃ、ひきたぢからのみことじんじゃ)は、静岡県沼津市西浦江梨の大瀬崎(おせざき)にある神社。旧社格は式内社(国弊小社論社)、郷社。 駿河湾沿いの漁民の崇敬を集めている。 延喜式神名帳に記された「引手力命神社」は当社とされることが多いが、伊豆国の旧田方郡にはもう一社、静岡県伊東市十足(大室山北麓)に引手力男神社(ひきたじからおじんじゃ)がある。実際にどちらが式内社「引手力命神社」に比定されうるか決定的な史料が無いために明らかではない。本項では大瀬崎の引手力命神社について記す。 2006年、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に施設名『大瀬神社』で選定された 。 通称である大瀬神社(おせじんじゃ)と呼ばれることが多く、鳥居の扁額にもこの名が書かれている。他に大瀬明神(おせみょうじん)などとも称される。 引手力命(ひきたぢからのみこと) 全国の主な式内社とされる神社でこの名前の神を祀るものは他に見られない。これを古事記や日本書紀にも登場する天手力雄(男)命に比定する説もあるが、一般に天手力雄(男)命が山の神とされているのに対して引手力命は海の守護の神であり、必ずしも定かではない。 創建時期は不明であるが、一説には白鳳13年(684年)に発生した大地震に伴って海底が突然三百丈余も隆起して「琵琶島(びわじま)」と呼ばれる島が出現したため、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々がここに引手力命を祀ったのが最初、とも言われる。「琵琶島」はやがて砂洲の形成により陸繋島となり大瀬崎となった。 平安時代末期に源為朝と源頼朝、および北条政子は源氏の再興を祈願して当社に弓矢、兜、鏡、太刀などを奉納し、源氏の再興が叶い鎌倉幕府が成立して以降は、多くの武将たちが弓矢や太刀を奉納するようになったとされる。 南北朝時代には江梨鈴木氏の祖である鈴木繁伴がこの地を支配し(館の跡とみられる遺構がある)祭祀に勤しんだとされるが、その後の度重なる地震や津波で館も奉納品も全て失われた。しかし砂の中からそれらの一部が見つかるに及んで地元の人々がこれらを奉り、何時とはなしに再興されて今日に至っている。 現在の社殿は1939年(昭和14年)に再建されたものである。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建:684年 指定:天然記念物 ご利益:航海安全
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出典 city.numazu.shizuoka.jp ↗旅の前に知っておくこと
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