概要
京都三大祭で最も古い。平安装束の行列が御所から社へ向かう。
解説
葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行われる例祭。石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことを指した。 石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、庶民の祭りである祇園祭に対して、賀茂県主氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、貴族の祭となった。京都市の観光資源としては、京都三大祭りの一つ。 平安時代以来、国家的な行事として行われてきた歴史があり、日本の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されている。 葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名。斎王代が主役と思われがちだが祭りの主役は勅使代である。源氏物語中、光源氏が勅使を勤める場面が印象的である。大気の不安定な時期に行われるため、にわか雨に濡れることが多く、1995年(平成7年)には雨天によって戦後初の中止になった。また2020年(令和2年)・2021年(令和3年)は、新型コロナ感染症拡大防止の観点から、「路頭の儀」が中止となっている。 1969年5月15日、近畿放送テレビ(当時、現在のKBS京都テレビ)が、初のテレビ実況中継を行った。 葵祭は賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさしていた。賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。 もともと古代より、賀茂神社の神紋として使っていた二葉葵(別名、賀茂葵)が更なる由来である。著名な徳川家の三つ葉葵紋の原型とも言われ、徳川家康の先祖である松平信光が賀茂朝臣を称していた事や、松平氏の出身地が三河賀茂郡松平郷でもある事から、『「三つ葉葵」も葵祭で有名な京都の賀茂神社との関連の深い』と述べる研究者も居る。実際に徳川家も葵祭を重視しており、徳川家茂は上洛した1863年に、孝明天皇に随行して共に葵祭に参列している。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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