概要
合掌造りの集落。屋根裏で養蚕と塩硝づくりを行った。
解説
五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す。地域内の「越中五箇山相倉集落」と「越中五箇山菅沼集落」は重要伝統的建造物群保存地区であり、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を構成している。 「五箇山」の地名の由来について、五箇山出身の郷土史家である高桑敬親は、「赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷の5つの谷からなるので『五箇谷間(やま)』となり、これが転じて「五箇山」の地名となった」とする説を提唱している。 一方、「五箇」を含む地名は全国に複数存在するが、柳田國男ら民俗学者は「五箇」地名が必ずしも数字の「五」に由来するわけではなく、むしろ未開地を指す「空閑(こが)」「後閑(ごか)」に由来するという説を提唱していた。同じく五箇山出身の米澤康は柳田國男の「五箇」地名についての議論も踏まえ、「五つの谷」が「五箇山」の由来であるとする高桑説を批判した。 近年では、浦辻一成が「赤尾・上梨・下梨・小谷・利賀」の地名が「五箇山」とほぼ同時期に登場していることに注目し、「空閑/後閑」を語源とするよりは、やはり「五つの地域」で構成されることが「五箇山」の由来とする方が自然である、と論じている。なお、「五箇山」の名称が、文献に出てくるのは約500年前、本願寺住職第9世光兼実如上人の文書が最初である。奥田直文は「五箇山」という名称が一向一揆による支配の確立と同時に現れることに注目し、「それ以前の旧荘園に規定された地域単位とは別の原理で成り立つ、新しい地域結集単位」であったことを指摘している。 五箇山には、縄文時代の埋蔵文化遺跡が約50箇所ある。約4500年前(縄文中期前葉)の土器が出土している。他の年代も含めての出土品は、磨製石斧・石皿・石鏃・石棒・石刀・土偶・耳飾り・ヒスイ大珠・御物石器などである。ヒスイの大珠がコモムラ遺跡(旧平村下梨)東中遺跡(旧平村)から3個出土している。縄文時代のヒスイは全て新潟県糸魚川市の明星山から姫川(支流小滝川)と青海川に流出したもので、日本海側との交流があったことを示している。また、御物石器は祭祀具と推測されており、岐阜・富山・石川で多く出土していることから、中部圏との交流も盛んだったようである。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
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