概要
水戸徳川家の庭。中国の名勝を写した意匠が多い。
解説
小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)である。国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。 昔の小石川は、沼や丘があり、起伏に富んだ地形で古い高木が茂っていた。寛永時代(1624〜1644年)以前、現在の小石川後楽園の土地周辺には、本妙寺と吉祥寺が建っていた。南側には神田川が流れ、江戸時代の神田川は現在よりはるかに浅く、舟が行き来し船着き場が設けられていた。その神田川から引かれた神田上水が通り、更に、神田上水から小日向台地を小日向上水が通っていた。神田上水は現在は無くなっているが、徳川家康によって江戸庶民の飲料水用に引かれていた。上水は、井の頭池を水源とし、三鷹市から善福寺川と妙正寺川の流れが合流し、文京区関口の大洗堰で取水され、その後、小石川を通過して神田川は水道橋で暗渠となり神田、日本橋方面に給水されていた。寛永期は、江戸の町は急速に発展し、人口が増加し、生活用水の需要が大幅に増加した。 現在の「東京ドーム」や「東京ドームシティアトラクションズ」などが建つ土地は、もともと水戸藩邸の土地で、水戸藩の殿屋が建てられていた。「後楽園」は、藩邸の庭園の名称である。後楽園の土地は、常陸水戸藩初代藩主徳川頼房が、敷地が庭園造りに相応しいとの考えから将軍に所望し、総面積76,699坪を邸地として賜った。頼房は、小石川の土地が沼や丘があり、起伏に富んだ地形だったので、土地の形状を生かした作庭を行った。寛永6年(1629年)3月11日、頼房の手によって、家臣の酒井忠世と土井利勝の指揮で作庭が開始され、同年9月28日にほぼ完成された。 頼房は、家康の第11子として、慶長8年(1603年)京都の伏見で生まれ、7歳で御三家の水戸藩を賜った。水戸藩は、他の御三家に比べ石高が半分であり、官位も低かったが、寛永年間に参勤交代の制度ができ藩主が江戸に常駐し、将軍の監査役として「天下の副将軍」と俗称され、政治を執り行った。頼房は水戸藩といっても、元和2年(1616年)まで駿河に住み、同年4月に家康が没したその3年後に江戸に上がった。 寛永7年(1630年)9月11日、水戸藩邸は火災に見舞われ修築に約7カ月を要し、寛永8年(1631年)4月22日に完成した。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開業:1629年 指定:特別史跡、特別名勝
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