概要
和歌の名所を写した回遊式庭園。柳沢吉保が作った。
解説
六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園で、「回遊式築山泉水庭園」の日本庭園(大名庭園)である。国の特別名勝に指定されている。 六義園が造られた駒込は当時は原野であった。慶長(1596年)から元和(1624年)にかけて、江戸はどこを指していたのかといえば、「御曲輪内(おくるわない)」といって現在で言う外堀内を指しており、現在の文京区は「御曲輪外(おくるわがい)」であった。『文京区史』には、慶長年間に文京区に造られた主な武家屋敷は、千駄木二丁目の小笠原秀政、西片一丁目・二丁目の阿部正次、本駒込閲丁目・二丁目の土井利勝の三カ所が記されている。六義園の土地は、当時は武蔵野に繋がる広々とした「原野(原っぱ)」地帯で、樹林と豊富な水量に恵まれた、作庭には適した所だった。 『本郷区史』には、寛永5年(1628年)、将軍家の鷹狩りの場として、江戸近郊に52カ村が指定され、雑司ヶ谷、本郷、小石川村などが鷹狩場となっていたと記されている。 江戸が政治の中心となり、人が増加し住まいが必要となり、街も徐々に外周へと発展していった。また、明暦3年(1657年)に発生した本郷を火元とする大火「振袖火事」である、死者10万7千人と言われている。天和2年(1682年)に発生した「お七火事」は江戸の街を焼き尽くした。だが、その火災の毎に街並みが整理され、武家屋敷も外周へと広がっていき、神社仏閣などもそれに習って移転した。江戸の街は発展を続け、街は商人が台頭することになる。江戸の街は、五代将軍徳川綱吉の時代となった。 五代将軍綱吉の家臣柳沢出羽守保明(後の柳沢吉保)は、元禄8年(1695年)4月22日、幕府に上げ地されていた松平加賀守(加賀藩主前田綱紀)の下屋敷であった染井村の約45,862坪の土地を幕府より拝領した。元禄文化のさなかにあって吉保は、「別荘庭園」として活用することを考えた。これまでの平安時代の「寝殿造の庭」、室町時代の「書院造の庭」、また禅宗の「枯山水の庭」とは違った江戸時代の「廻遊式築山泉水庭園」であった。それは、保明の文芸趣向に基づいた、本郷台地の広大な平坦な土地に、山を築き、池を掘り、流れを引き、紀州の和歌の浦の景勝を写し、また、『万葉集』や『古今和歌集』より名勝を取り出し、八十八境を写しだすことだった。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開業:1702年 指定:特別名勝
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