概要
糸に刃を付けて相手の糸を切り合う。凧の絵は家や地区の紋を大きく描き、識別の記号になる。
解説
五十崎町(いかざきちょう)は、愛媛県の南予地方にかつて存在した町。まわりを緑の山々に囲まれた人口6,000人弱の典型的な中山間地ながら、清流小田川と大凧合戦の里としての町づくりを進めてきた。 愛媛県の南部、南予地方の内陸部に属し大洲市へ約15km、松山市へ約40km。西は大洲市、北は内子町、南は肱川町、南東は河辺村に接している。周囲は西にパラグライダー基地のある神南山が、南に大登山が横たわっており、パラグライダー・ハンググライダーも有名で緑多き神南山 (710m) はフライト基地として地理的・自然条件的にも西日本最高のコースの一つである。県外からの来町者も多く、テイクオフポイント及びパラグライダー練習場も整備されている。 肱川の支流の一つである清流・小田川が町の中心部を北から南方向に流れている。流域は比較的平坦な沖積盆地で、山は高いところで約600m。 山 : 神南山(かんなんざん)、大登山(おおとざん) 鎌倉時代初期、陣ノ森に竜王城があり、河野氏一族の居城であったとの伝承が残る。竜王城はその後城主を転々とし、豊臣秀吉の四国征伐にともない廃城となった。 藩政期には大洲藩(重松を除く)又は新谷藩(重松のみ)の領地であった。五十崎郷に属する古田、天神、大久喜、宿間、奈良野、重松の6村、河辺郷に属する鶴巻、只海、北表の3村の合わせて9村があった。 寛永年間に大洲藩主・加藤泰興が古田村在住の岡崎治郎左衛門に命じて藩の御用紙を漉かせたこれが、当地の製紙の勃興の始まりとされる。 元禄年間には民間でも天神村で紙漉きが行なわれていた。以後、楮の栽培が内山筋一帯で盛んになる。 1746年(延享3年) - 紙方仲買連中結成(紙座)。こののち、仲買商に暴利をむさぼられていると農民の不満募る。 1750年(寛延3年) - 内ノ子騒動。 宝暦年間に大洲藩は紙の統制を強化、宝暦10年に五十崎に楮役所を、内子に紙役所をおく。 天保年間に大洲藩が神南山の中腹に大久喜鉱山を開発。 1838年(天保9年) - 天神村を平岡村へ村名変更。 1871年(明治4年)7月 - 廃藩置県により新谷藩領であった重松村は新谷県に、他の地域は大洲県に属す。 1871年(明治4年)11月 - 新谷県、大洲県が宇和島県に合併。 1872年(明治5年) - 宇和島県が神山県と改称。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1600年代 代表作・所蔵:ガガリと呼ぶ刃をつけた糸、凧に描く紋 ジャンル:日本画、工芸・陶芸
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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