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田川市石炭・歴史博物館

福岡県 · 田川市 · 博物館・記念館

Tagawa Coal and History Museum / 田川市石炭・歴史博物館

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田川市石炭・歴史博物館
写真:そらみみ (Soramimi) / CC BY-SA 4.0 · 出典 ↗
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炭坑夫が記憶だけで描いた記録画が、日本で最初の世界記憶遺産になった。画と文章が一枚に同居する。

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概要

炭坑夫が記憶だけで描いた記録画が、日本で最初の世界記憶遺産になった。画と文章が一枚に同居する。

解説

山本 作兵衛(やまもと さくべえ / さくべい、1892年〈明治25年〉5月17日 - 1984年〈昭和59年)12月19日〉)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。 日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)の登録を受けた炭鉱画で知られる。 1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)で、石炭を輸送する川舟の船頭をしていた山本福太郎の次男として産まれる。1899年(明治32年)、1893年(明治26年)に開通した筑豊本線によって石炭輸送の代替が進んだため、福太郎は川舟を廃業して一家で上三緒炭坑(現・飯塚市)に移住し、炭鉱夫に転職した。作兵衛も7歳で兄とともに炭鉱に入り、父の仕事を手伝うようになる。 1900年(明治33年)5月5日、弟の初節句祝で贈られた加藤清正の土人形を気に入り、何度も写生したことを自ら描いている。入学した立岩尋常小学校(現・飯塚市立立岩小学校)では、先生の目を盗んで絵を描いた。12歳の時には、西洋紙に描いた源平合戦などの絵本を作り、近所の子どもに売って画材や食べ物を買っていた。しかし家は貧しく、子守や父の手伝いで満足に通えないまま、小学校を卒業した。 小学校卒業後、1904年(明治37年)に山内炭坑(現・飯塚市)の鶴嘴鍛冶に弟子入りし、1906年(明治39年)に15歳で山内炭坑の炭鉱員となった。1912年(明治45年)1月4日には結婚したが、同年の徴兵検査は難聴で乙種免除となった。その後、1955年(昭和30年)に長尾位登炭鉱(田川市)の閉山で63歳で退職するまで、採炭員や鍛冶工員として筑豊地方各地の炭鉱18ヶ所を転々としながら、日記や手帳にその記録を残した。この間も、一時期福岡市内のペンキ屋に弟子入りしたほか、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)に描いた安全週間のポスターが残っている。 1957年(昭和32年)、福岡県田川市弓削田にあった長尾本炭鉱の宿直警備員として働き始めた。1945年(昭和20年)5月に戦死した長男のことを思い出さないようにと、気を紛らわせるために日記の余白やチラシの裏に再び絵を描き始めた。1958年(昭和33年)5月頃から、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と、日記や手帳の記録、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱やその生活の様子を画用紙に墨で描き始めた。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:1983年 代表作・所蔵:山本作兵衛の炭坑記録画697点、世界記憶遺産 ジャンル:日本画、写真

出典 ja.wikipedia.org ↗

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