概要
毛を水で練り混ぜて作る技法を守る。熊野と並ぶ筆の産地で、書道用に特化する。国の伝統的工芸品。
解説
川尻筆(かわじりふで)は、広島県呉市川尻町で生産されている筆。経済産業大臣指定伝統的工芸品。産地組合は川尻毛筆事業協同組合。 広島県熊野筆、愛知県豊橋筆、奈良県奈良筆とともに日本四大産地の一つ。伝統的工芸品産業振興協会編『全国伝統的工芸品総覧』による2001年度生産額で見ると、川尻筆の国内シェアは10.4%(熊野61.4・豊橋11.0・奈良13.3)。広島県には戦前いくつか筆の産地はあったが戦後は川尻と熊野の2つだけになり、生産量でみると川尻筆は国内シェア2割、熊野筆を合わせた広島県産の国内シェアは9割になると言われている。 川尻筆は京筆からの流れをくむ古くからの「練りまぜ」技法が主流で、書道用の筆、写経用の筆あるいは日本画家や陶器・漆器家などに愛される職人筆として知られている。一般への流通・知名度ともに熊野より低く、広島県第2の産地に留まっている。特異点として、他産地に先駆けて家内工業であった製筆業に近代化つまり経営の株式会社化や生産の部分的機械化を導入したり、従来の練りまぜに加えて「盆まぜ」という熊野で開発された技法も併用するなど、伝統を継承しながら革新化を進めてきた所が挙げられる。 2017年現在で伝統工芸士は、2人。 川尻という地は瀬戸内海に面した港町であり背後には野呂山が迫り平地は極端に狭く農業には不向きな土地である。 川尻と筆との関わりは江戸時代後期の天保9年(1838年)、菊谷三蔵が田を売ったお金で摂津有馬(有馬筆)から筆を仕入れ、川尻の寺子屋などにおいて売り出したのが始まりである。三蔵は更に筆の製造を村人に呼びかけたが受け入れられなかった。ちなみに熊野筆も有馬をルーツとして行商から製造へと移っていった歴史を持つが、熊野では同じ頃すでに筆作りが行われている。また川尻の西にある仁方のやすり製造(仁方やすり)も同じ頃に始まっている。 嘉永3年(1850年)上野八重吉は有馬に修行に出て、帰郷後の安政6年(1859年)出雲松江(松江筆)から職人を雇い入れて筆作りを始めた。これが川尻筆の製筆の始まりであり、八重吉は川尻筆の祖と言われ、八重吉の工場は現在やまき筆菊壽堂として存続している。 明治時代に入り義務教育が始まると学校で子どもが筆を使うようになったため、需要が増えることになる。
出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)
出典 ja.wikipedia.org ↗基本データ
創建・開館:1800年代 代表作・所蔵:練り混ぜ法、書道用の太筆 ジャンル:書
出典 ja.wikipedia.org ↗旅の前に知っておくこと
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