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土佐和紙の工房と手漉き

高知県 · いの町 · 美術・工芸

Tosa Papermaking Workshops / 土佐和紙の工房と手漉き

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高知県の参考写真
写真:noppo3 / CC BY-SA 3.0 · 出典 ↗
WHAT TO DO土佐和紙の工房と手漉き

薄さ0.03ミリの紙を漉くため、簀の目も極細に作る。道具の側から精度が決まる。

WHERE高知県

中央 · いの町

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概要

薄さ0.03ミリの紙を漉くため、簀の目も極細に作る。道具の側から精度が決まる。

解説

土佐和紙(とさわし)は、高知県(旧 土佐国)で作られる和紙。福井県の越前和紙、岐阜県の美濃和紙と並び、三大和紙に数えられる。江戸時代から土佐漆喰、生糸と並び「土佐三白」と称され、全国に出荷された。 狭義には、伝統的工芸品産業の振興に関する法律の指定を受けた「流し漉き」もしくは「溜め漉き」で作られた手漉き和紙を指すが、一般には機械漉きで作られたものを含めて土佐和紙と呼ばれる。高知県内で生産されるティッシュペーパーなどの家庭紙や不織布などは土佐紙(とさがみ)と呼ばれ、和紙から派生した製品と位置づけられる。 日本に紙づくりが伝わったのは7世紀初頭といわれ、阿波忌部による阿波和紙が四国における製紙の起源と伝えられる。土佐和紙はこれに次ぐ歴史を持つが、越前和紙や美濃和紙に比べると歴史は新しい。石見国(現在の島根県)から周防国(現 山口県)、伊予国(現 愛媛県)を経て伝来した説、平家の落人が伝播させた説などがあり、土佐で成立した手漉きの製法が四国山地を越えて瀬戸内海側に伝わった説も考えられている。 927年に完成した延喜式に土佐の紙の最古の記録が残るが、当時土佐から上納された紙はまだ稚拙であり、上流階級が普段使いする程度のものであった。土佐の紙づくりが広く知られるようになったのは中世末から近世にかけてであり、国分(南国市)の久礼田紙や成山の土佐七色紙などが発展した。 波川城主波川玄蕃清宗は、1580年に長宗我部元親により滅ぼされたが、清宗の夫人は元親の妹であったことから難を逃れ、成山村に移り住み、養甫と名乗り尼として暮らした。安芸城主安芸国虎の次男、安芸三郎左衛門家友は、1569年(永禄12年)に元親に安芸城を攻め滅ぼされた際に阿波国に逃れた。成長して土佐に戻り、叔母にあたる養甫の屋敷に身を寄せる。 1596年頃のある日、養甫と家友は病に倒れた旅人を介抱した。その旅人は伊予国日向谷村の新之丞といった。養甫らが囲炉裏にコウゾをくべているのを見た新之丞は、修善寺紙の手法を教えた。新之丞は成山に数年間滞在し、養甫と家友に紙づくりの技法を伝授した。こうして、ヤマモモやスオウ、クチナシ、アイなどで淡い色合いに染めた黄紙・浅黄紙・桃色紙・柿色紙・紫色紙・萌黄紙・朱善寺紙の土佐七色紙(成山七色紙)が出来上がった。七色紙の完成を見て、安心した新之丞は日向谷への帰途へつく。

出典:Wikipedia(CC BY-SA 4.0)

出典 ja.wikipedia.org ↗

基本データ

創建・開館:江戸期 代表作・所蔵:典具帖紙の漉き、竹の簀桁 ジャンル:工芸・陶芸

出典 ja.wikipedia.org ↗

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